文庫の窓から
眼科諸流派の秘伝書(40)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.554-555
発行日 1985年4月15日
Published Date 1985/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209418
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49.四十八膜并五色闇目口伝抄
「闇目口伝抄」という本は伝説的存在と思われるほど過去のものとなったが,中川壺山輯「本朝医家古籍考」(昭和7年,新松堂刊)に『此書ハ明応8年ノ写本ナリ,眼科ノ書ナリ云々』とあり,本書の成立は,田代三喜(導道,範翁,1465〜)が医方書を携えて逗留の中国(明)より帰えった明応7年(1498)の翌年,即ち明応8年(1499)に遡り,馬島流眼科においては,その第8世了円法印の代に相当し,尾張馬島薬師寺の宗慈坊重常が大智坊と称され,眼医者として活躍していた.北野社,松梅院禅豫の日記,明応2年2月の条に,『馬島大智坊目薬二包被送申候』(副島種經氏資料)と記されているが,馬島大智坊の活動振りが窺える.本書は本邦眼療書名中,最も古いものであろうといわれているが,その伝本すら極めて少なく,永禄13年観善写といわれるものの写本(岩波図書総目録収載),永禄13年11月写と識される写本(千葉大眼科蔵)等の古写本が現在伝えられているにすぎない.ここに掲出のものは内題に「四十八膜并五色闇目口,風眼目薬」と書かれ,慶長20年(1615)の日付のある写本であるが,原著者,相伝者は何れも不明であり,後世における慶長本の写しと思われる.
この写本は35葉,全1冊(23.8×16.8cm)の和装本で,片仮名交りであるが本文は漢字体で書かれ,眼病図などは素描である.内容は前半19葉に"内外薬種以加減可療養㕝"後半15葉には"薬種処方"について述べ,その前者には48種の眼病名それぞれに淡彩色の眼病絵図を描き,簡単な薬種療法,個々に眼病の病因をのべている。
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