文庫の窓から
真流真教之巻
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.118-119
発行日 1981年1月15日
Published Date 1981/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208254
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かの有名な「病草子」(鎌倉時代初期作)にみられるような眼病を治療する医師らしい者は,既に鎌倉時代には現われていたが,南北朝から江戸時代にかけて実地医術の眼科が馬嶋流によって広められるようになって,穂積(住),山口,佐々木,青木,酣〓,南蛮等の諸流派が興った。
これら諸流派は一流一派をなしていたものの,その眼科の内容においては大体中国,明代の眼科を主体としている馬嶋流眼科と大差なく,いわゆる五輪八廓説を規範とし,それに自己の治験や一寸した処方の差異を加えた一方一術にすぎなかったように解される。というのは当時の各流派問の差異がほとんど"口伝有り"という語に秘められているからである。
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