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證治準繩(2)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.1660-1661
発行日 1980年12月15日
Published Date 1980/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208235
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「医方問餘」の眼目門には「證治準繩」のほか,「銀海精微」(孫思邈),「眼科全書」(哀学淵),「原機啓微,附録」(薛己),「医学綱目」(樓英)等の諸書が引用(「医方問餘」眼目門,巻之三)され,また,「銀海精微」および「眼科全書」に所載の五輪図,八廓図,他81図の眼病図が引用附加されている。「医方問餘」の眼目門が優れていると称せられるのは,つまり「證治準繩」の眼目が優れているということであり,1943年千葉大学伊東弥恵治博士が「證治準繩」所載の『視赤如白證』を閲読し,これを世界最初の色盲論として論文にまとめ発表(日本医史学雑誌No.1313,p.117)されたことからしても本書が学術的にかなり進んでいたことを示すものと思われる。
「證治準繩」の編者,王肯堂は字を宇泰,号を念西居士,明,金壇縣の人といわれ,本書の稿が成っても家が貧しかったために資金もなく出版できなかったという。たまたま鶴陽公という人が援助してくれたので本書を世に著わすことができたといわれる。それにしても当時の医学全書は,そのほとんどが,権力の大きい皇帝の勅命による,いわゆる勅撰が多かった時代にもかかわらずよく古今の方論を採取し編集し,これだけの大著にまとめ立派な医学全書を作成したことは誠に王宇泰の超人的努力の賜物といえよう。
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