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ペルリ提督の下田港実測図
中泉 行正
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1研医会図書館
pp.1000
発行日 1969年8月15日
Published Date 1969/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410204132
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ペルリの天秤と液量カップが先般来問題になり新聞紙上をにぎわしている。せつかく東大理学部でみつかり,上野の科学博物館に保管ということになり一安心と思つたのに,アメリカの展覧会に貸したところ,返つてきたら天秤もカップもキズだらけになつていたということである。輸送方法に細心を欠いた点があつたらしい。ともかく,かかる貴重品は文化財であるから大切にしなければならない。
ペルリ提督の率いる東インド艦隊4隻は嘉永6年(1853)浦賀に入港して日米和親条約を徳川幕府に迫つた。翌安政1年(1854)に再度浦賀に入港して函館と下田の両港を開港する条約を結んで帰つた。翌年(1855)にはドイツ船も下田に入港して日仏日蘭和親条約を結んだ。さらに1857年にはハリスが下田に入港して,下田条約を結んでいる。
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