私の経験
脳腫瘍と眼科
佐伯 静雄
pp.641-642
発行日 1954年5月15日
Published Date 1954/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201889
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私は腦腫瘍の眼症状を記述するのではない。敗戦後慌てゝ(?)米医学を輸入した日本に急に腦外科の機運が醸成された。が之れに対応して眼科医の責任が重大となつたことを知つて貰いたいと思う。今迄日本でも折々はやつて居た。私が,助手をやり或は自分が執刀しただけでも5例ある。即ち大正10年10月,故佐藤三吉先生は腦廻転を分けて進み,尖刄刀を以て病巣を穿刺し,12年には塩田先生が腦血腫の手術をやり,15年頃泉伍朗君が下垂体腫瘍剔出を試み,其後,私は後頭部膿瘍の切開をやつた。此外にも佐藤先生,河本,岡田両先生がやつたことを聞いて居る。又新潟外科九州耳鼻科などでもやつたとのこと戦争が起つてからは余り手術例を聞かなかつた。米国に行つて見ると昭和4,5年頃から全国至る所の外科でやつて居るとのことであるから,是非見たいと思つて行く先き先きを手を廻したが,只1回丈連絡がとれたのをすぐに飛んで行つたが,あと5分間位で終る所だと云うわけで間に合わなかつたのは遺憾であつたが,種々質問をして,大に得る所あり。但し予後は未だ発表すべき段階に達せず,次第に好くなりつゝあるとのこと。其後も注意して居たが,内臓腫瘍剔出の如きわけにはゆかぬ様である。
却説腦腫瘍は直接外科に来ること殆んどない。又内科に行くよりも寧ろ,眼科症状を訴えて眼科に来る。たとえ内科へ行つても初期の内科では中々確診しがたい時期であり,其内に本人が来るか,或は内科から眼科に廻されて確診される。
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