〔Ⅷ〕温故知新
その後の小柳美三先生
桑島 治三郞
pp.42-44
発行日 1948年2月1日
Published Date 1948/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200227
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『温故知新』欄に小柳先生の御近況を書くやうに,と林先生から命ぜられて,大分,時が經つた。私如きには餘りにも荷が勝ち過ぎることと思つて再三御辭退申し上げたが,強つて,との仰せに從ひ,不敏を省みず敢てペンを取つた。萬一にも先生の御風格を此の駄文の爲に些かでも損ふことのなからんごとのみを念じ乍ら……。
小柳先生は昭和17年の日眼總會に『高血壓と眼との關係に就て』特別講演を擔當され,同年停年御退職になられた。御退職も間近い頃の或る日醫局員に對して次の如く述懐されたことがあつた。『僕の半生を賭けた研究が漸く近頃になつて軌道に乘りかけ,どうやら先の見透しがつきかけたと思つて,不圖,氣がついたら何時の間にか,もう停年が來て了つた。未解決のテーマが山積してゐる感じがして.さあ,これからだ,と言ふのに日暮れて途尚ほ遠しの感慨が正に無量なものがある……』
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