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〔Ⅶ〕醫局だより
pp.154
発行日 1947年9月20日
Published Date 1947/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200213
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久留米醫科大學眼科醫局。現在の久留米醫科大學に就て述べる前に.先づ其の前身である九州醫學專門學校以來の沿革に就て少しく述べてみたい。
昭和3年4月1日.九州醫學專門學校創立,開校と同時に久留米市京町一丁目(中學明善校西側の高台)に在つた久留米市立病院の敷地,家屋診療機械及び引續き診療中の患者とを繼承して.其の日より眼科學教室としての業務を開始した。教授は久留米市立病院眼科醫長より引繼き在職された吉村郁三醫學士が昭和3年4月1日より昭和4年6月15日(死亡)まで在職,昭和4年6月15日より昭和5年12月31日までは今井良平博士.江浦榮山博士.田中徳博士夫々講師として眼科醫長を勤められた。次で昭和5年12月31日廣瀬金之助博士 九州醫學專門學校教授となり眼科學教室主任.眼科醫長となられた。昭和7年5月 悠々たる筑後川の清流 小森野を洗ふ處,篠山城の石垣に對して 白堊の醫學殿堂即ち九州醫學專門學校本館及び附屬病院新築竣工したので 即ち久留米市小森野町(現在・久留米市旭町と改稱・)の附屬病院に移轉し,新病院の威容と共に眼科學教室の内容も充實し,昭和7年3月26日第1囘卒業生を出すと共に新卒業生入局し,其後.卒業の囘を重ねる毎に 入局者も多く.眼科學教室益々隆盛に赴き又教室出身者は或は就職或は開業にと社會的に活躍した。
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