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醫局近況
河崎
pp.164
発行日 1947年4月1日
Published Date 1947/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200092
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岡山醫科大學産婦人科
「戰爭へ!!戰爭へ!!」と到底常識では捕捉され得ない樣な錯覺と幻影とに一切を捧げて,此の國の幾少多の若者達が征つて経つた樣に,中村助教授以下壯有爲の人材は次々と召きれ,そして惡疫瘴癘の異境に倒れ,南海の島影に花と散つて行つた者7名。あの想ひ起すさえ鳥肌立つ樣な6月29日深夜の空襲に,あたら若い生命を紅焔の中に捧げて歸らざる者1名。大きな犧牲であつた。
日毎に激化する空襲。治療上研究上は基よりの事日常生活の凡ゆる面にまで刻々増強される有形無形の障碍と隘路とに,ともすれば絶望感に沈まんとする僅か2名の醫局員を,「最後は教室と運命を共にすると」云つて勵まし,慰め,然も開戰以來附屬醫院長として,多事多雜の重責を全うし,尚且泰然として眞摯な研究は倦む事を知られぬ八木教授の言語に絶する努力と,明敏なる頭腦とに依つて,遂に無事教室の機能を守り終ほせて此處に丸一年。幾多の犠牲の上に樹てられた貴重な,晴々とした平和恢復に伴つて,まるで古巣に歸る小鳥共の樣に,南から北から,そして大陸から教授の膝下に集ふ者は今や30名に垂んなんとし,今更醫局の狹隘を喞つ仕末。
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