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醫局便り
pp.78-79
発行日 1947年2月10日
Published Date 1947/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200194
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東京帝國大學醫學部都築外科醫局
1年ばかり前は多數の熱傷やら戰傷をかかへこんで56名の醫局員が皆泊り込みで働き,その中に多少の意義と張合ひとを見出し,又其處に據り所を求めてゐた。然し今は大部分の復員を終つて何をなすともつかない50名近くが狹い醫局に犇き合つて,お互に食へない食へないと言つてゐるが,といつて食へる方便を考へるでもない,内のトマトはどうの,南瓜がいくつ結實したのといふ事などばかり口角に泡して熱論してゐる。此は何處の醫局でも或は日本全體に見られる現象かも知れない。それにしても戰前に比べて見て醫員が餘りにも功利的利己的になり過ぎてはゐまいか。今こそ新しい傳統が創造さるべきであらう。
吾々の教室では疎開取毀しの病室研究室の修理が一應出來て,この3個月ばかり毎日汗と埃にまみれて移轉し漸く此も片付いて佐藤外科以來40年の古巣に舞ひ戻つた。病室は80になり研究も軌道にのらうといふ所で,都築教授が卒然退官された。フランクに言つて此は吾々に思ひ設けぬ大打撃であつた。然し又正直な所,或は豫想されたかも知れない混迷は何ひとつ起らず,大槻教授・木本助教授の分擔指導で整然たる秩序が保たれてゐる。此は先師都築教授の愼重な配慮に負ふ所であるが,吾々は又長い歴史傳統の強味を痛感する次第である。
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