コラム 新しく始める人へのアドバイス
荻窪病院での体外受精初期の経験から
飯田 悦郎
1
1荻窪病院
pp.1058
発行日 1995年8月10日
Published Date 1995/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409902223
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1982年体外受精(以下本法)の臨床への応用がゴーとなり,荻窪病院(以下当院)は慶應グループとして私的病院の先鞭を切って不妊症臨床への応用を始めました1).現在本法は不妊症治療として定着し,手法の改良進歩で成績は向上しつつあります.国内で6,000余名の児が誕生した報告2)があり,当院でもすでに183名の児の誕生をみています.
当院の本法による不妊治療の黎明期(1983〜1985年頃)には旧式の腹腔鏡,クリーンベンチ,インキュベーター,実体顕微鏡,純水製造装置と最小限度の設備で,培養液は慶應から調達し,卵巣刺激法も試行錯誤でした.このような状況でも,施行例は,年間100例前後を数え,1984年春,妊娠第1号の成功をみました.それまで,本法を疑問視していた病院側も不妊治療として認識するようになり,病院経営に重要な本法の収入も軌道に乗り,徐々に設備は整えられ,今では凍結保存,顕微授精まで施行しています.
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