追悼
故長谷川敏雄先生を偲んで
竹内 正七
1
1帝京大学医学部産婦人科教室
pp.1012-1013
発行日 1989年10月10日
Published Date 1989/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409208098
- 有料閲覧
- 文献概要
先生の御逝去を悼み,先生に捧げる追悼号を出すにあたり,本誌の現編集委員の一人として,また,先生の御薫陶を戴いたものの一人として,ここに思い出の一端を記して,先生の御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。先生は本誌の生みの親であり,創刊の時より,編集委員を勤めてこられ,編集顧問になられてからも,本誌の英文目次を90歳を越えられる最後の時まで担当してこられました。本誌が本号を追悼号として心から先生の御霊にお届け申し上げる所以であります。
先生は第2次大戦後の荒廃した東大産科婦人科学教室に主任教授として熊本大学より昭和22年御着任され,教室の再建に文字通り獅子奮迅の御努力をなされ,多数の優秀な御弟子を養成され,立派な教室にされました。小生は先生から卒業試験を受けましたが,筆記試験と口答試験の両方を行われ,後者では問題を書かれたカードを引かせ,しばらく構想を練る時間を与えられたあと,グループの一人ずつ順次答えさせるというやり方でした。私は「横位分娩」という問題があたり,しどろもどろ答えたのでしたが,「山があたったのか,良くできた」と御ほめの御言葉をいただき感激したのを,今でも良く覚えております。私は卒業試験を受けるまで,内科志望でしたが,試験勉強をしている時,性ホルモンの神秘的な働きに興味をもち,産婦人科に入局する気になりましたが,最終的に決断させたのは口答試験の時の先生の御一言であったような気がします。
Copyright © 1989, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.