思い出の写真
子宮のCIN, CISの早期発見
大川 公康
1
1日本医科大学
pp.606-607
発行日 1987年9月10日
Published Date 1987/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409207654
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私は昭和17(1942)年に卒業し,日赤本部産院(院長久慈直太郎)にて産婦人科診療を主とし,研究も行った。その頃は分娩が多く,1日に40〜50,1ヵ月では1,200〜1,500で,児の死亡は1ヵ月30位あって2年間は死亡胎児の解剖を行って研究した。昭和24年に国立沼津病院より依頼があって,勤務した。当時は分娩が少なく手術が多く。子宮癌が多くなった。この頃はCINやCISはあまり問題にされなかった。私はこれに興味があって,多く検査した。なお癌のT1〜T2が多く,T3〜T4もあったので,この関係に広汎手術を行った。この手術のため尿管の合併症が多くなったので尿管腹膜包埋法を考案し,昭和26(1951)年日本産科婦人科学会で発表した。これを1961年に第3回のInternational Federation of Obstetrics and Gynecology (ウイーン)に発表し,1966年東京での第9回のInternational Cancer Congressに発表した。この折Richard F. Mattingly教授に認められ,16mm映画を彼のWisconsin Collegeに送った。
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