追悼
故 林 基之君を弔うの記
長谷川 敏雄
1
1日赤医療センター
pp.182
発行日 1977年2月10日
Published Date 1977/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409205574
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昭和52年如月半ばも過ぎた19日,東邦大学教授 林 基之君,春をも待たで遂に逝く。悲しみ限りなし。思えばこれに先だつこと1年3ヵ月あまりの50年秋の頃,ふとしたことから食餌の通過障害を訴えて入院開腹手術を受けたところ,噴門部に近い食道の悪性腫瘍で,既に如何ともしがたい状態にあり,そのまま閉鎖するという重大な結果に終わり,病理組織検索上悪性所見はなく,単なる異形成が見られたに過ぎずとの表面上の報告に満足の意を表しおるを見るにつけ,真相を知る者として悲痛な思いを如何ともすることができなかったのであるが,その後の経過は意外に良好で,間もなく登学,講義,診察,手術を含む勤務の点で従前となんら異なるところがなかったばかりか,しばしば関係学会にも出席して,発言もするという君一流のタフさに,知る人ぞ知るいいようのない複雑な気持のうちにも内心舌を巻かしめるものがあった。とはいえ流石はうつせみの遂に来たるべき限界に達したものか,1年後の51年10月,神戸での不妊学会総会でシンポジウムを司会して帰京以来,再入院して病床に臥す身となり,あらゆる処置の甲斐もなく再び起つ能わざるに至ったことは,かねて期したこととはいいながらかえすがえすも残念の極みである。
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