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医局20年前
野津
,
小石
,
河崎
pp.17
発行日 1966年1月10日
Published Date 1966/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409203397
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空襲頻なりし昨春は白木教授御病気の留守を承り三谷助教授以下医局員7名,全員死を覚悟し半地下の不便な手術室,分娩室,外来診療所を急に模様替した病室に拠り敢闘せるも終戦の声を聞くと共に復員された澤崎講師以下多数の医局員を迎え,目下総員26名で華しく研究,教育,診療に従事している次第。
薬品の入手難,瓦斯停止,動物及び其飼料の入手難は研究の重大な支障となり居るも,一同の好学心は統計其の他の方面に其捌口を求めつつあり。例えば広島原子爆弾の婦人性機能に及ぼした影響,性器下垂竝脱,戦時無月経の統計等々,三谷助教授自ら陣頭に立たれて研究中なり.又手術施設完備した病院減少のためか,終戦後頓に入院手術患者増加し,其収容に頭を悩す而も其種類も戦時中は専ら癌と子宮脱なりしも最近は,後屈,卵巣嚢腫,筋腫筋が増加した事は平和到来を象徴するものと興味深し。(後略)(野津記) 医局近況:東大産婦人科教室創刊号 87pより。
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