ついである記・27
Bucarest
山室 隆夫
1,2
1京都大学
2国際整形災害外科学会
pp.1090-1091
発行日 1998年9月25日
Published Date 1998/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408902525
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私にとってルーマニアは黒海の西に位置するあまりなじみのない国で,かつてオリンピックの女子体操の花であったコマネチの可憐な姿や,ソ連邦体制の崩壊に伴って起こったチャウセスク大統領の殺害の報道などが僅かに記憶にとどまっている程度であった.しかし,ブカレスト大学のディヌレスク教授(Prof. Dinulescu)と国際学会で何度も話し合う機会があり,「情報に飢えているルーマニアの若い医師達のためにも是非講演に来てほしい」という要請を受けて,1998年5月に私と家内は初めてこの国を訪ねた.私達は,革命後まだ8年半にしかならないこの国の経済の窮状を目の当たりにしたが,それにも拘わらず明るく暖かいルーマニアの人々の人情に接して大いに感ずるところがあった.
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