ついである記・6
Yugoslavia
山室 隆夫
1,2
1京都大学
2国際整形災害外科学会
pp.1146-1147
発行日 1996年10月25日
Published Date 1996/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408902016
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●東西両陣営の狭間で独自の発展をとげたが…
古い時代のヨーロッパおよびその周辺の偉大な文明,例えばギリシャ文明,ローマ文明,ビザンチン文明などは,いずれもアドリア海を挾んでその東西に興ったと言える.そして,これらの文明の盛衰の歴史も,また,それに伴って発生した東西勢力の軍事的抗争の歴史も,アドリア海の海運の果した役割を考えずには語り得ないもののように思われる.そのアドリア海の西岸はイタリーであり,東岸は主として旧ユーゴスラビアである.したがって,旧ユーゴスラビアの地は古くより文明の交差点として,人種的,文化的,宗教的,経済的,軍事的に極めて複雑な状況を呈しつつ発展してきた.旧ユーゴスラビアは第二次世界大戦後に故チトー大統領の強力な指導力によって独自の社会主義国として独立したが,もともと6つの共和国より成る合同国家であった.6つの共和国とは北から南へ向って見ると,スロベニア,クロアチア,ボスニア・ヘルツゴビナ,セルビア,モンテネグロ,マケドニアである.これらの共和国の内の幾つかは1990年以来のユーゴスラビア紛争によって毎日のように世界のニュースにその名が登場しよく知られるようになったが,それ以前には日本人には余りなじみのなかった共和国であった.
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