整形外科philosophy
先天性股関節脱臼と共に
田辺 剛造
1
1岡山労災病院
pp.298-302
発行日 1996年3月25日
Published Date 1996/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901858
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●終戦後第1回目のインターンを経て 一般外科5年
岡山大学医学部に整形外科学教室が開講されたのは昭和29年(1954)でした.私は昭和22年9月岡山医科大学を卒業しました.何故9月卒業かと言いますと.第二次世界大戦の為旧制高等学校を半年繰上げで大学に入学し,そのままであれば大学の就学年限も更に短縮されていたのでしょうが,昭和20年(1945)敗戦となり,既に基礎医学の教科を終え,戦場で役に立ちそうな臨床系の講義が始まり,急造の医師として戦場に駆り出される予定であったのが,正規の4年制の教課にもどされた為でした.そして私達の予定にはなかったインターンを1年してから,第5回医師国家試験に合格しました.そのインターンも,敗戦の傷未だ癒されない,組織された教育環境は到底期待しようもないものでした.それでも多くの患者の治療に責任を持たされ,若さの故の行動力で少しずつですが,医療技術を身につけて行きました.国試の発表は12月にあったのですが,外科医になる気持は決めており,大学の教室に入れば当分遊べないと2カ月間ぶらぶらして,昭和24年3月同大学第二外科教室に入局,医師として第一歩を踏み出したのです.
ですから5年間は一般外科医(第二外科は腹部内臓器が専門でした)として研修を受け,小手術であれば一人でやれる位にはなっていました.
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