連載 医者も知りたい【医者のはなし】・39
硬骨の蘭方医・関寛斎(1830-1912)その1
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.338-341
発行日 2010年4月25日
Published Date 2010/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408101710
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■はじめに
関寛斎(せきかんさい)の生誕地,千葉県東金市で先日,平成22年2月13日~3月4日にかけて彼の生誕180周年記念展示会が催された.私は2月12日と14日に東京で栄養学の勉強会に出席し,幸い2月13日に行くことができた.東京駅から京葉線と外房線に乗って,東金市に行った.大変にタイムリーなことに東京への出張前に,私が医学史に興味を持っていることを知る千葉在住の高校同級生がメールで,関寛斎生誕180周年記念展に関する新聞記事を送ってくれた.
数年前に私が鳴門の大塚国際美術館に行ったとき,徳島藩の藩医であった関寛斎の足跡を訪ねたことがある.寛斎は明治維新の戊辰戦争で,官軍の奥羽出張病院長として,蘭方医学・外科学を駆使し,敵味方の差別なく治療に当った.維新後,彼は徳島の地で30年間以上にわたって,一町医者として庶民の診療に従事し,徳島の種痘普及に奉仕した.金持ちから診察料をとり,貧者には無償で医療を行った仁徳振りから,「関大明神」と慕われた.明治35年(1902),寛斎は72歳のときに,北海道に渡り厳寒の地「陸別」に入り,子供とともに開墾を始めた.10年後の82歳のとき,波乱万丈の生涯を自ら絶った.なぜ72歳になって,北海道に行ったか,私には長い間の「謎」であった.第2回に私なりの答えを書いてみたい.生誕180年を記念して,今回は「硬骨の蘭方医」や,「最後の蘭方医」と呼ばれる「関寛斎」を書いてみることにした.
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