メディカルエッセー 『航跡』・1
ダイヤモンド型吻合術
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.1170-1171
発行日 1996年9月20日
Published Date 1996/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407902400
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もしもあのとき,あの場所にあの人が居なかったら(あるいは居たら),事態は全く違っただろうということは,稀ではあるが日常に起こりうる.
1972年から翌年にかけてボストンフローティング小児病院の小児外科チーフレジデントをしていたときのことである.小児外科チームは主任のフィッシャー教授,チーフレジデントの私の他に,外科の2年目のレジデントが2人,1年目が2人の合計6人という編成であった.このチームで年間800例の手術をしたのであるから当然多忙な毎日であった.手元の記録では1年間に700回手洗いをしている.そうしたある日,食道閉鎖症と十二指腸閉鎖症を合併した新生児が送られてきた.その日のうちに,気管食道瘻を切断し食道再建術を行ったが,患児の状態が良くないので十二指腸閉鎖の手術は翌日ということになった.しかし翌日の手術の時間帯,フィッシャー教授は地元テレビ局の口蓋裂治療のキャンペーン番組に出演する先約があり,教授は一般外科の同僚に十二指腸閉鎖症例のスタッフ外科医としての権限を委任して,テレビ局に出向いてしまった.当時は今と違って,チーフレジデントはキャンパス内にスタッフが居るという条件付きではあったが,単独で手術することが許されていたのである.出発前,十二指腸—十二指腸吻合をして胃瘻を造るようにと一応の方針だけは言い残してくれた.「わかりました」とは言ったものの,十二指腸—十二指腸吻合というのは見たこともなかった.
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