Medical Essay メスと絵筆とカンバスと・8
旅のアクシデント
若林 利重
1
1東京警察病院
pp.1058-1059
発行日 1993年8月20日
Published Date 1993/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901227
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いよいよ明日は日本へ帰るという,1965年7月3日のことである.4か月近いヨーロッパ,アメリカの旅の帰途ハワイに立ち寄って1泊した.ロスアンゼルスを早朝発ったのだがホノルルもまだ朝だった.その日は午前中ホテルの窓から景色を画いたり,ワイキキの浜に出てベンチの老人をスケッチしたりした.午後は車で島のなかを観光し,途中パイナップル畑に寄って新鮮なパイナップルを食べた.ホテルに戻ると,旅の最後の大洗濯をし浴室一杯に紐を張って掛けた.夕食にはまだ間があったので野外ステージでフラダンスを見ながらコカコーラを飲んだ.
ホテルの大食堂は2階にあった.私は一つのテーブルに1人で坐った.無事に終えた旅を祝うべく1人で乾杯と食事の前にビールの小瓶を1本たのんだ.旅の間ビールは殆ど口にしなかったのでその1口は久しぶりの味だった.ところがコップの半分も飲まないうちに急に嘔気を催した.すぐ椅子を離れ大急ぎでトイレへ向かった.気がついて先ず目に入ってきたのは真白な広い天井であった.そして私のすぐ傍には大理石の大きな柱が立っていた.私は食堂の柱の根元で絨緞のうえに倒れていたことに気付いた.これはいかんと立上がり,よろけながらトイレへ歩いた.倒れていたのはそう長い時間ではなかったようだ.トイレに入るや否や嘔吐した.吐物はコーヒー残渣様よりもっと赤味を帯びている.まさに消化性潰瘍の吐血である.
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