世界の手術室・4
オランダ・アムステルダム アムステルダム大学Wilhelmia Gasthuis—最初の高気圧酸素室とそこで学んだ日本人医師
隅田 幸男
1
1国立福岡中央病院心臓血管外科
pp.642-644
発行日 1984年5月20日
Published Date 1984/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407208627
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特発性食道破裂で知られているHermann Baerhaave(1668〜1728)は当時,Leyden大学教授をつとめ,同時にヨーロッパ医学の頂点に立つていた,「人体生理学要綱Elementa Physiologicae corporis humani 1757」で有名なスイスの解剖学者,外科医,植物学者であるAlbrecht Haller(1708-77)は恩師BaerhaaveをGeneral teacher of all Europeと呼んだ.その著書「医学論Institutiones Medicae 1708」はHippocratesの精神をくんだ名著とされている.
1588年スペイン無敵艦隊が破れ,ようやく独立したオランダは医学でも最盛期を迎えていたのである.オランダと日本の交渉が始まつたのも,そのすぐ後で,1600年(慶長5)に蘭船リーフデ号が豊後に来たときからといわれる.1609年平戸に商館が置かれ,のち長崎出島(1639年,寛永10年)に移され,日本はオランダと中国とのみの通商をはじめ長くつづいたことは周知の通りである.解体新書5冊が1774年(安永3)に出版され,ドイツ人Philipp Franz von Sieboldはオランダ人と称して1823年に来日し,日本医学の大きな基盤となつた.ミュンヘン大学裏の墓地にある彼の小さな墓石には漢字で「強哉」と彫まれているが,遺言だつたのだろうか.
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