雑感
なが夕顔
木島 昂
1
1実地医家のための会
pp.1112
発行日 1965年8月20日
Published Date 1965/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203718
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手術室の窓には白光の真夏の日が射して,青桐の大きな葉が風に動くたびに,黒い蔭をちらつかせていた.緊張していなければならない保には,コントラストのはつきりした光と影の模様をうつした硝子窓が,若さを海や山に発散する季節から,重苦しいおしつぶされた保の現実を隔絶する動かしがたい厚い牢獄の壁に思えて,さつきからうとましくてならなかつた.
「バカヤロー,何をポカンとしとるんじやい,ブルーテンしとる,ブルーテン!!」汚い言葉が先か,手術台の下でステテコから出した毛臑をサンダルで思いきり蹴られたのが先かわからなかつたが,下から上へ骨の芯を伝わる痛みは脳にひびいて鉄棒で打ちのめされたようなめまいを感じた.今日で3回目のオペの助手をつとめた保の臑には,真横に青黒ずんだ創がもういくつもついていたが,くる日もくる日もほとんど,顔うりの煮つけと丼7分目の粥一杯の病人食餌の腹ごしらえでは,何くそという気迫も消えてしまつて,情ない涙が大粒で転がりおちた.傍に立つている看護婦がガーゼで涙を拭つてくれると,母親の優しさにいつそう悲しくなつた少年の日のように新しい涙が湧いて,切りひらかれた赤い肉の術創も止血鉗子もかすんで見えなくなつてしまつた.
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