外科進歩の跡・1
本邦に於ける肺外科の発達史
佐藤 淸一郞
1
1日本名科學會
pp.87-88
発行日 1951年2月20日
Published Date 1951/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200770
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肺外科の進歩は他の外科のそれに比して極めて遅々たるものであつたが,是れは日本に限らず外國も同樣の傾向であつたのである.尾見博士の記事にも見られる通り1905年Garrè氏が肺損傷に対する縫合法を報告した際に氏が蒐集した総ての文献僅かに8例に過ぎなかつたのを見てもわかることである.尚胸廓成形術の始祖とも言うべきBrauer-Friedrichの手術も1907年でSauerbruch氏は1909年に其創案を発表しているのであつて,我國に於ける肺外科の出発も之れに遅れること僅かであつて明治め末年即ち1910年頃から気運が現われ特に福岡と大連方面から肺外科の曙光が見えはじめたのである.
福岡の三宅外科では明治43年頃チーゲル式高圧麻醉器を独逸より買入れ動物実驗などやり出したが,其研究担当者は近藤外卷君で,次で間もなく拙者佐藤が讓り受けて此仕事をした.佐藤は明治末年即ち大正元年独逸に留学して肺労性胸廓論を書き上げ肺虚脱の目的として肺尖結核に対し斜角筋切断術を案出し独逸外科時報BD126,(1913)に発表して肺虚脱法を礼讃した.次で大正3年帰朝して以来肺結核に対し胸廓成形術(ザ式)其他肺壞疽等の手術に精進するに至つたのである.
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