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学生時代
彼は,私の高校の後輩にあたり,同じラグビー部に所属していた.ラグビー部時代は,体こそ大きくはないが,練習に熱心に取り組み,着実なプレーをしていた.特に長距離走では別の生き物かと思えるほど生き生きとトップを走っていた.現役で東京の大学に行き,エリートコースを歩いていた.私はラグビーのやりすぎで2浪もしたが,その2浪目に東京に受験に行った際に久しぶりに高校のラグビーの連中と集まり,しこたま酒を飲んだことがあった.多分,誰一人としてまともであった人はいないほど,すごい飲み会になった.彼もそれに参加していた.その後,私は九州の大学に進み,彼とは会う機会がなかった.風の便りで,彼は海外でボランティア活動をしていると聞いていたような覚えがある.私は大学院へと進み,その後,タンザニアに医務官として赴任していた.
タンザニアで再会
ある時,大使館の医務室で通常通りに勤務をしていると,1人の患者さんが入ってきた.その「ちょっと風邪気味なんですけれども」と言ってきたのが,なんと彼であった.実に13年ぶりの再会がアフリカのタンザニアであった.診療もそこそこに色々と話を聞いた.彼は大学卒業後,ボランティア活動を行うために海外を転々としていた.東南アジアから中東,そして当時,一番危険であったろうソマリアでも援助活動を行っていた.それからタンザニアにやってきて,難民キャンプで働いていた.そこで,とても美人のタンザニア女性の奥様をもらっていた.なんと私がタンザニアにいるときに結婚式を挙げていた.もっと早くに再会していたら結婚式にも参列できたのにと思った.奥様に会うと,とても聡明で美しいアフリカ女性であった.うちの家内は高校時代のラグビー部のマネージャーだったこともあり,彼のことはもちろんよく知っている.そして,家族ぐるみでの付き合いが始まった.彼とも何度か酒を酌み交わしたりした.
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