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Billroth(図1)は普仏戦争(1870~1871年)に従軍した経験をもとに,長年の友人でウィーン医師会で重きをなしていたJaromir Freiher von Mundyと連名で1874年に「Ueber den Transport der im Felde Verwundeten und Kranken:Historische und kritische Studien uber den Transport der im Felde Verwundeten und Kranken auf Eisenbahnen(戦時傷病者の鉄道輸送について)」という論文を発表し,戦時ばかりではなく平時での災害救助医療の重要性とその必要性を説いた.さらに,これに先立つ1873年には,ウィーン万国博覧会において戦時傷病者の搬送用列車を展示している(図2).そして,盟友Mundyの周旋によりウィーンに「災害救援協会」が創設され,これが後にオーストリア赤十字社へと発展していったのである.
また,Billrothは1870年代後半このMundyの勧めで「ルドルフ協会(Rudolfiner Verein)」に入会している.「ルドルフ協会」はBillrothがウィーンに赴任する1年前の1866年に設立されたもので,その当時はオーストリア-ハンガリー二重帝国を統治していたハプスブルグ王家のRudolf皇太子(図3)が主宰していた.この協会は「ウィーンに看護婦養成機関を併設した病院を造る」ことを目的とした奉仕協会であったが,Billrothが入会した頃は開店休業といった状況であり,ほとんど活動らしい活動はしていなかったのである.しかし,協会活動にかかわりながらRudolf皇太子と親しくなるにしたがって,Billrothはこの協会に一段と肩入れするようになり,「平時の災害救護医療を行う病院を建設するとともに,それに付属する看護婦養成機関を設立する」というルドルフ協会の基本理念の実現に向け,足らざるところには私財を投じるなどして一方ならぬ情熱を傾けるようになった(このことは,1892年に弟子達によって開催されたBillroth教授就任25周年記念祝賀会の席上,Billrothがこの病院の竣工が間近に迫ったことを喜ぶ演説をしていることからも十分に窺える).
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