特別寄稿 創刊35周年を顧みて
「脳と神経」発刊の頃
佐野 圭司
1,2
1東京大学
2帝京大学
pp.103-104
発行日 1984年2月1日
Published Date 1984/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406205258
- 有料閲覧
- 文献概要
昭和23年(1948年)は記念すべき年であった。この年の5月4日に新潟医科大学(当時)第一新講堂で日本脳.神経外科研究会の第1回総会がひらかれた。丁度第46回日本外科学会(会長,中田瑞穂教授)が新潟で開催されたので,それに引きつづいて行なわれたのである。この時の世話人会で,名古屋大学の斉藤眞教授がその年の会長にえらばれた。ちなみに斉藤教授はひきつづき,第2回(昭和23年10月30日,31日,東大内科講堂),第3回(昭和24年5月1日,2日,慶応大学北里講堂),の会長もつとめられたが,不幸にして昭和25年1月2日心筋梗塞で急逝された。この脳・神経外科研究会は第7回(昭和26年10)が中田瑞穂教授のもとで新潟で開かれた時に日本脳・神経外科学会と改称された。さらに昭和40年6月に議員提案で「脳,脊髄,および末梢神経に関する外科」として医療法第70条に独立診療科名,「脳神経外科」(脳・神経の「・」は法律上挿人できないので除かれた)が載せられるや,それにあわせて「・」を取り去り日本脳神経外科学会となったのである。
この「脳・神経外科研究会」の機関誌として計画されたのが「脳及神経」で,第1号は昭和23年11月に日本医学雑誌株式会社から発行された。昭和24年3月発行の第2号から名前を「脳と神経」に改めたが,これは漢字を減らそうという当時の風潮にそったのである。また昭和25年11月刊行の第2巻第6号から医学書院の名で発行されるようになったが,これはその直前に日本医学雑誌株式会社と株式会社学術書院が合同して医学書院となったためである。
Copyright © 1984, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.