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前回紹介した1868年のNorwich学会の席上,JacksonとBrocaの間に具体的にどのような立入つた議論があつたかは詳かでないが,両者の視点に大きな隔りがあることは明らかである。それは例えばBrocaが語健忘と構音言語障害aphemieを区別して後者をF3の病変に関連づけるのに対し,Jacksonが知的言語の障害にclass I (Broca失語)とclass II (Wernicke失語)を区別して線条体または更に深部の病変に関連づけ,感情的言語と右半球との関係に着目した点にみられるが,両者の見解の優劣を単純直に論じることは困難である。Gallの学説を別とすれば,要素的運動機能の局在すら2年後のFritsch&Hitzigの動物大脳皮質実験(1870)を待つて漸く解明の糸口がさぐり出されようとする,大脳皮質がなおterra incog—nitaに等しかつた時代に,その一部(F3)が言語機能に関わることを—その正確な役割が今日改めて問い直されている(浜中:臨床精神医学,10;1457-80,1981)とは言え—実証したBrocaの業績と,線条体が最高運動中枢とされた当時の通説の制約下にあつたとは言え,Wernicke失語の(病変部位ではないにしても)臨床像をWernicke(1874年)より早い時期に記載し,今日改めて注目されている右劣位半球の言語機能(浜中:北野紀要,20;14-26,1975)をはじめて指摘したJacksonの貢献のいずれを高く評価しうるであろうか?ここで重要な点はむしろ,両者をこのような相異なる,しかし評価すべき結論に導いた基本的考想の相違であろう。BrocaがGall同様C. Wolff (1679-1754)以来の能力心理学faculty psy—chologyの立場から想定した構音言語「能力」の座を皮質に求めたのに対し,Jacksonにとつては言語を含めて心的現象が脳の特定の部位に局在せしめ得ることなどは考えられず,心的現象と脳の身体的過程はあくまで同時に起りはするが別個のものであり("concomittance"の原理),言語に対応する神経系の過程といえども反射などの下位の水準でみられるのと同じ感覚=運動過程sensori—motor processが上位で起つたものにすぎないのであつて,神経系とはつまる所最も有機化され,最も単純で最も自働的な下位水準から,最も有機化されていず,最も複雑で最も随意的な高次水準へと進化evolu—tionして階層構造をなすに至った感覚=運動機制に他ならず("evolu—tion"の原理),神経系が損傷を被る場合には進化とは逆に上位から下位水準への段階的解体dissolutionが陽性症状と陰性症状を呈しつつ起ることになる("dissolution"の原理)。このようなジャクソニズムの詳細についてはいくつかの優れた紹介(例えばエー:「ジャクソンと精神医学」1975〔大橋他訳,みすず書房,1979〕)を参照されたいが,その基本的考想はBrocaのごとく能力心理学ではなく,R, Whytt (1716-66),G.Pro—chaska (1749-1820)にはじまり,C.Bell (1774-1842)とF. Magen—die (1783-1855)の脊髄前根=後根機能区分説を経てM.Hall (1796—1857)によつて完成された反射理論と,これを拡張したT.Laycock(1812-76)らの大脳反射作用cere—bral reflex action の学説や,J.Locke (1632-1804) 以来のイギリス連合心理学を進化論と結合したH.Spencer (1820-1903)の心理学を前提とするものである。ただしGallやBrocaにしてもJacksonにしても比較解剖学的視点だけは共通していることと,恐らくはどこかで,Descartesの二元論に由来するのであろうが,"Concomittance"の原理だけはJackson独自の見解ではないかと思えることを指摘しておきたい。
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