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近代神経心理学が誕生したのが,19世紀であり,中でもフランスの外科医,人類学齢Paul Brocaに負う所大なるものがあることは衆目の一致して認める所であろう。彼は1861年4月18日,パリ人類学会の例会席上で発言(Bull. Soc. d'Anthropol. 2:235, 1861)を求め,その前日,彼が勤務するBicêtre病院外科病棟で死亡した患者Leborgneの脳を供覧した。患者は21年以前に言語障害を来して以来同病院に人院中であり,話を理解しているように見えながらどんな質問に対しても"Tan"としか答え得なかつたので"Monsieur Tan"と呼ばれていたが,入院後10年を経て右上肢,ついで冶下肢の運動障害を来して臥床がちとなり次第にある程度の知性障害をも来し,1861年4月12日に到つて冶下肢に壊疽性蜂窠織炎を生じてBrocaの外科病棟に転科し5日後に死亡したのであつた。脳軟化病巣は左半球の前頭葉凸面から後中心回,第1側頭回,Reil島,線状体に及んでいたが,最も古い前頭葉凸面中部諸脳回の原発軟化巣が初発症状であつた言語障害の責任病変であると解釈したBrocaは,1867年8月この所見を解剖学会年報(Bull.Soc.Anatomie, 36:330, 1861:萬年甫抄訳,内科,9;572 & 779, 1962)に「aphémieの1例に基づく構音言語能力(faculté du langage articulé)の座に関する見解」として発表した。これは言語に関する半球優位と,運動失語(Wernicke 1874)の責任病変という神経心理学の二大テーゼに関する最初の寄与として今日あまりにも有名である。
ところで興味深いのは,この患者の脳はその後,脳割も神経病理学的検索も試みられることなく,医学部(Ecolede Médecine)の近く,旧聖フランチェスコ教団食堂(Réfectoire du Club des Cordeliers)の古仏蒼然たる建物一階にあるDupuytren博物館に保存されたまま,何人によつても――半ば畏敬の念からか――手がつけられぬままに保存されて来たことであり,そのため上記病変の正確な拡がり(特に深部)が確定されていなかつた。しかしBrocaの投後100年にあたる1980年の6月19日,パリではBrocaの記念祭が行われ,Salpêtrière病院のJ.—L. Signoretらの手によつて行われたLeborgneの脳のCT scanの検査結果が記念小冊子(写真1)および同時にRev, neurol.,136:563, 1980に発表され,病変が確定された(詳細は浜中:臨床精神医学,10:1457, 1981参照)。写真は1980年11月,筆者が渡辺俊三氏(弘前大学神経精神科)の御案内でSalpêtrièreのLhermitte教授を訪ねた際に贈恵をうけた記念小冊子である.
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