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最近,医師国家試験がやや厳格になつて,合格率が一時のように百パーセント近いことがなくなつたためか,大学ではそれなりの対応策をたてているところが少なくない。それはまた医学教育カリキュラムの改善という形にも現われている。しかし,カリキュラム改善が単なる医師国家試験合格率向上のためのものであるなら,それは大変嘆かわしいことで,上級校入学のためのテクニックを教える最近の学校教育と軌を一にするものである。一時医学界をゆさぶつた学生運動の余波が今日のカリキュラム検討に影響を及ぼさなかつたといいきることも出来ない。しかし,以上のような受身のカリキュラムの検討ではなくて,今日待たれているのはもつと積極的なものではなかろうか。確かに部分的に形は改革されてきているが,その精神においては30年以上も前の戦前の古い感覚が一向に変つていないとすれば,この30年間,日本の医学は何をして来たかと問われるであろう。いわゆる研究や特殊検査法は世界に伍して長足の進歩をとげたが,教育カリキュラムが本質的に見直され,臨床に役立つように改善されるのでなければ,それらの進歩は誰のためのものであつたかと詰問されても止むを得まい。
しかし,卒前あるいは卒後のカリキュラムを手直ししょうと計画を立てたところで,それは高嶺の花,絵にかいた餅で,意味がないという意見もあると聞く。改善された計画に従つて臨床教育を行なおうとすれば,スタッフをふやす必要があり,金もかかつて出来る筈がないから,そのような計画を論じてもはじまらないということだそうである。確かに今の人員を今の仕事につけたまま,それとは別にもう一つの大きな仕事(臨床教育)にもつけようとすれば,当然従来の仕事量を減らさねばならない。問題はそのようにしてでも,今ここで臨床教育を充実させるような手立てを講ずる必要があるか否かを検討することであつて,はじめから絵にかいた餅であるときめてかかるのは,今まで程度の臨床教育で事足りているとみる人の立場であろう。
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