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本誌の埋め草に「症候群・徴候」の連載をおおせつかつて,自分なりに懸命に書いたつもりが,後に読みかえして意に満たないものが多い。しかし,関心をもつて読んで下さる読者が予期に反して多いことは筆者として詞に光栄である。お引きうけした当座はそれ程手間,隙かかるまいと考えたが,いざ始めてみて,容易ならざるものを背負い込んだと些か後悔している。第一に内容の正確を期すには文献をそれなりに精読しなくてはならず,内外の教科書に記されているものを丸呑みにしては誤りをおかしかねない。そうかといつて矢鱈詳しく書くのがよいというものでなく,何が要点であり,問題であるかを簡明に示す必要がある。経験を外れ,論文のみを拠り所にすることは避けねばならない。ものによつては原著から完全なものでなく,後の人々によつて追加,修正されたものもあり,それを要に応じ指摘することも忘れてはならない。もう一つの問題は原著その他必要文献の入手が常に容易とは限らず,複写の発達した今日といえども結構手間と隙がかかり,早めに心掛けておかないと原稿締切り期日に間に合わなくなるおそれもある。特に国外からとり寄せなくてはならないものがあるときは,我国の図書の不備をうらむ時もある。更に,必要な論文のほとんど全部が日本語で書かれたものでなく,日本語以上に不得手な外国語相手であれば困難も一入である。単に原著がどれであるというような内容であるなら,信憑性のある論文の2,3を当つた上で,その実在を確認すればよく,難かしい問題はないが,その確立されたいきさつ,なぜそうしたかを述べようとすれば,仲々に面倒である。しかも,このような連載物は長くつづけることが生命であつて,二十,三十で切り上げて仕舞うわけに行かないことを考えると一時のゆううつが筆者の頭を占める。目下のところアルファベット順に簡単に一巡し——一年で丁度一巡するつもりが数え違えて翌年にはみ出してしまつたが——またAに戻つて二巡目である。いずれ人名のついていない症候群・徴候も手掛けなくてはならないと考えているが,神経学の領域では何といつても人名のついたものが多い。このようなeponymを避けたがる人,きらう人もいて,それなりの理由はあるが,しかし,それはなかなかに捨てきれない長所,利点ももつている。その一つはそれを適当な医学用語に置き換えることによつて,その内容の深かさや広さ,場合によつては正確さを失うことになる。例えばHorner症候群を用語に置き換えたとしたとき,何としたらこのeponym同様に正確であろうか。読者諸子におかれて一つ熟考して頂きたい。そして,もしそれが眼交感神経麻痺性症候群と称することによつて完壁であつたとしたとき,次は日常の実地診療.教育,すなわち外来,病棟,講義,ポリクリ,回診の中でHorner症候群というのと眼交感神経麻痺性症候群というのとでは,どちらが実際的であろうか。医学とは常に診療の中に生きているものであり,実用性を無視するわけにはいかない。皮肉なことにeponymをきらつたWartenbergの名が,彼の考案になる誘発法を応用した指屈曲反射の一つに冠されているのを見ても,それが自然なのではなかろうか。人名には母国語の発音に近い仮名を付けている。時には大使館などに尋ねるときもあるが,呼び名は自国での慣用もあるので,誤りがあれば御指摘頂きたい。
このような筆者の独語はともあれ,注文やお気づきの点,御連絡頂ければ詢に幸である。
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