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グリオーマ學發達の時期を大體次の各期に分けることが出來ると思う。すなわちVirchow前期(pre-Virch-ow period), Virchow期(Virchow period) Virchow後期(post-Virchow period)の3つである。Virchow後期には更にBailey前期(pre-Bailey period)ともいうべき時代があり,次いでBailey期(Bailey period)に入る。中世打破を目標にしたルネツサンスすら中世にその萠芽を辿りうるとする史家がある如く,世界史における古代中世及び近代の間には不斷の連續がある。同じことはグリオーマ學發展の跡を眺める時にもいえることである。Baileyのグリオーマ學の飛躍的發展は人の眼をして眩惑せしめるものがあるが,今更らBielschowskyやSchererの言に挨つまでもなく,それは突如として起つたものでないことは明かである。Bailey以前にももちろんすでにある種のグリオーマの本性のおおよそ確立せられていたものもあるし,組織發生的な分類の考え方にしても,グリオーマ學の領域に於ても,一般腫瘍學の領域に於けると同様に,Vireh-ow期あるいはVirchow後期以來ないわけではなかつたのである。更に極言するならば,現今病理學者が強調するやうなBaileyのグリオーマ學への對蹠的な意見はvirchow期—Virchow後期のグリオーマ學者を通じてひろく存在した考え方であつたのではないか。Bielschowskyの「何も新味はないではないか」というBailey分類學への反駁はむしろそのまゝ當今のBaileyグリオーマ學への反對者に對していえることばであろう。實にこの世には新しいというようなものは何1つない。Virchow前期はIaennecやJohanries Müllerなどによつてほぼ代表せられる時代によつて終熄する。イギリス人Hey (1736-1819)によつて唱えられたfungus hematodesはWardrop (1809)によりいまの綱膜グリオーマ(Glioma retinae, Virchow)と思われるものの名稱へも擴大せられ,Abernethy(1804)は更にそれをmedullary Sarcomaとよんだ。Laennecのtumeur encephaloide, Hooperのcephaloma(Craigieはこれを更にencephalomaという),そして當時(carcinoma medullareと呼ばれた腫瘍,すべてこれらの腫瘍のうちにはグリオーマとの關連が考えられるものがある。
中心紳輕系の間質組織についての概念はReil, Vil—lars, KeufelをへてVirchowに至り略確立した。當時なほ結締織と同じようなものとして考えられていたのであるが,Virchow (1853)はこれにNeuroglia(Nervenkitt)の名稱を與えた。ついで彼は神經成分より成るneuromaや當時の意味でのcareinomaから間質組織よむなる腫瘍を區別するために菱腦腫瘍からグリオーマ(Glioma,1863)を分離した。Virchow期のグリオーマ學者はおおよそ次の人々である。すなわちSimon (1874), Golgi (1875), Klebs (1877), Weige姓(1890), Stroebe (1895), Storeh (1899), Bonome(1901)及びBorst (1902)などである。Landau (1910), Ranke (1911), Stumpf (1911)およびLotmar (1913)などはVirchow後期の人々のうちに數えてもよい。Simonはいまのastrocytomaにあたると思われるSpinnenzellengliomあるいはPinselzellengliomを報告した。Weigertははじめグリオーマにはグリア細胞の増殖をみgliosisにはグリア纎維の病的増生をみるといつたが,後にグリオーマに於てもグリア細胞の外にグリア纎維の増生があると訂正した。Stroebeはこの時代の有數な研究者でMalloryの新染色法を採用した。彼のいわゆるSternzellengliomはいまのastro—cytomaとおもわれ,彼の圖はBruns (1904,1908)やEwing (1940)の引用する所である。彼はVirchow以來の傳統のあるzellreiche faserarme…weichere (Vir—howのいわゆるzellarme faserrehche zellreiche oder medullaere) Gliomeおよびzellarmefaserreiche…hartere (Virehowのいわゆるfibroese) Gliomeの外に,大きさの上からkleinzellige, grosszellige Gliome及びRiesenzellen-gliome,また形の上からSternzell—engliome, Spindel-zellengliome及びpolimorphzel—lige Gliome,なほ節神經細胞樣のグリアの發現のあるものをGlioma gan-gliocellulareとよぶなどの分類を行つた。彼はまたZieglerと共にグリオーマ腫瘍に於て血管より發足する肉腫樣發育を伴う混合型腫瘍のみに限定してGlio-sarcomaの存在を許した*。Orth(1894)はグリア纎維の存在するもののみをグリオーマと考え,纎維を伴はずに豊富な細胞成分からなるものをGliosarcomと考えた。Birch-Hirschfeldは發育が速かで細胞成分を富有し巨態細胞のあるものをグリオーマとは別個な肉腫と考えGliosarcomとした。Oppenheimはグリオーマ細胞と肉腫細胞との併存する混合型腫瘍としてのGliosarcomがあると思つた。すべてこれらの人々にくらべてStroebeの考え方ははるかに進歩的であるといはなければならない。Bono—me, Ranke, Stumpf及びLotmarらはグリオーマのグリア細胞原形質のsyncytiumを考え,當時行はれたグリアヂソチチウム説に左擔した。一般にヂンチチウム説は當時の組織學者の好話題だつたのである。Storchはグリアはatavismusによつて上皮的性格を獲ることが出來ると考え,グリオーマにみられる上皮性腔形成を説明しようとした。Landauのdiffuses GliomがBailey (1927 a)(1927 a)によつてoligo—dendrogliomaであることが指摘せられたのは周知の通りである。Stumpfは多形グリオブラストーマ(g-lioblastoma multiforme)と思われるグリオーマの美事な圖を掲げている。この2人は行き屆いた記載とすぐれた圖形がいかに後世の研究者の類同の探知と知識の發掘とによい指標を與えるかを身を以て示した人々といえる。Oliga Lotmar はAlzheimer門の人でAmoeboidenzellengliomを提唱した。Roussy及びOberling (1930,1931)はLotmanの腫瘍をStroebeやO.Meyer (1913)のRiesenzellengliom類似のものと考えた(astrocytome giganto-cellulaire)。
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