Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
司会(福田 慈恵医大神経病理)症例2の検討会を始めさせていただきます。まず臨床経過を橋田秀司先生にご呈示いただいた後,病理所見をコメンテーターの黒岩先生にお話しいただきます。CPCのディスカッションの後にコメンテーターに症例のまとめをしていただきます。
□症例呈示
主治医(橋田) 症例のプレゼンテーションを,まず日赤医療センター第1回目入院時の病歴・所見などから始めさせていただきます(表1)。
主訴は体動困難。1995年,44歳頃から小歩症,易転倒性,上肢振戦が出現。発症時には症状の左右差は目立たなかったということです。翌1996年,某病院を受診し,パーキンソン病の診断にてL-dopa(ネオドパストン(R))の投与を開始しております。このときは,振戦の軽度改善はみられたものの,歩行障害は不変であったということです。翌年には,車椅子状態となり,さらに1998年には発語が減少し,自発語は「痛い」などの2~3語のみとなり,オウム返しの返答が多くなったということです。1999年10月当センターを紹介受診しております。この頃,既に日常生活は全介助ということでした。
既往では,1991年から糖尿病があり,経口糖尿病薬の投与を受けておりました。家族歴ですが,この方は離婚・再婚というようなことがあって,当院受診の時点では,両親の詳細などをお聞きできませんでしたが,同胞では,ご兄弟が2人おられ,特記すべきことは「なし」ということです。
現症としては,157 cm,66.1 kgで,一般身体所見には特に異常はありませんでした。
神経学的所見ですが,2000年2月~3月の第1回目入院中は,四肢のrigospasticityがあって,四肢は伸展状態,頸部に関しては記載がありません。軽度の安静時振戦がみられています。また,レジュメには痴呆と書いてありますが,カルテでは,名前を問われて夫の名前を答えたということがありました。自発語はほとんどみられない状態です。また,眼球の下転制限の記載があり,頭位変換眼球反射は陽性ということで,核上性の眼球運動障害もあっただろうということです。
両下肢の錐体路徴候,膝蓋腱反射(PTR)の亢進とBabinski徴候がextensorだったということと,強制把握がみられていました。
入院時の一般検査所見ですが,小球性の貧血があることと,HbA1cが7.6,髄液所見でタンパクが70,IgGはアルブミン値は出ているのですが,血清のIgGが出てなく,IgG Indexは不明です。あと,PVCが心電図でみられています。脳波は9~10 Hzのα波が主体で,右側優位にθ波が混入している状態でした。
初回入院時の頭部MRIについてお話ししますと,小脳の萎縮はなく,橋はややatrophicな傾向があり,中小脳脚の萎縮はありません。中脳は,水平断でははっきり萎縮がわからないのですが,正中部がT2で高信号になっています。あと,第三脳室が軽度拡大し,側脳室も拡大があり,尾状核の萎縮がみられます。それから,putamenの信号ですが,ちょっと画像が汚くて評価しづらいのですが,異常高信号,異常低信号はみられていません(図1)。
初回入院時の脳血流シンチグラム所見では,小脳と後頭葉の血流は保たれていますが,前頭葉を中心に,特に前頭葉内側面など前頭葉・側頭葉の血流低下が目立っていました(図2)。
当科初回入院後の経過です。退院後は在宅療養でしたが,経口摂取が困難となり,2001年8月6日から胃瘻増設のために第2回目の入院になっています。この時,頸部は後屈位で上肢は伸展,下肢は屈曲拘縮がみられており,blepharospasm(眼瞼痙攣)といいますか,grimacingといいますか,眼瞼痙攣が著明で,まったくコミュニケーションが取れない状態でした。
胃瘻を造設して退院されましたが,翌2002年7月に肺炎による低酸素血症で3度目の入院をされ,抗生物質,酸素投与にもかかわらず,挿管はしないという方針もありまして,7月8日に呼吸不全でお亡くなりになっております。
臨床診断としては,パーキンソン症候群で,進行性核上性麻痺(PSP)を疑っております。
Copyright © 2005, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.