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「精神医学」とは,もちろんPsychiatry(Psychiatrie,psychiatrie)の訳語である。昔は「精神病学」とされたこともあるが,その頃はその名のとおり,精神病の分類学がほとんどであった。「精神病学」はもちろんのこと,「精神医学」でも,その名を冠したほとんどの教科書が,治療学には全くと言っていいほど紙数をさいていないのが,初学者の私にはとても不思議なことだった。医学とは分類学のいいで,治療学ではないのか?と。ところで,サイカイアトリィの,前半部の原語プシケーが精神やこころを表すギリシア語なのは言うまでもないことだが,後半部の原語イアトレイアとは,その原義は「癒し」であって,本来は,「精神癒学」であるべき(ちなみに類語のイアトロスとは「医師」の意味)なのに。
よって,「精神療法」がその主流にこなくてはならないはずなのだが,全国80に及ぶ大学の「精神医学教室」の主任教授は,あいも変わらず,いわゆる生物学を主とするアプローチをとっている人々が占めている。いやそれどころか,精神療法家はおろか,精神病理学者にしても,ほんのごく少数派である。最近,いくつかの精神医学教室の教授選考にかかわる何らかの相談を受けることがあったが,異口同音に言われるのは,精神療法や精神病理の論文の評価が難しい,ということであった。翻ってその基礎となるペーパーも,生物学的方法論をとる人々には,欧文和文を問わず,書きやすいときている。確かに,神経生理や神経化学,あるいは組織病理または分子生物学あるいは精神薬理などは,教授選考にかかわる他科の教授たちにとって,彼らがほぼ同様の方法論や思考法をとっている分,それだけわかりやすいわけだが,精神療法や精神病理は,彼らにとって,まるで小説か哲学論文の類いに見えるらしく,とんと見当もつかないらしい。大体,従来の教授選考のありかた自体が,こうした悪状況をさらに悪化させて再生産を繰り返してきたわけだから,生物学中心の教授が選ぼれるのは必然なのである。むろん,だからと言って,筆者は生物学の先生方ではだめだ,と言っているわけではない。一芸に秀でた人は,他にも秀でて,むしろいい治療者でもある学者も時に見られるからである。筆者はその好例を何人か知っている。
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