Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
はじめに
ひとりの患者を前にして,この人はどういう人なのか,これまでどう生きてきてこれからどう生きようとしているのか,そして今この時点でどのような状態にあるのか,どのように苦しんでいるのか,また家族をはじめ周囲の人たちはこの人をどう見ているのか…などを,私たち精神科医は訊ね,それを記述してゆく。精神病理学の営みはこのように目に見えない患者たちの心とその周辺との関係を心理学的に観察し,それらを記述してゆくことを出発点としている。人間の生き方が絶えず変化しその変化に終わりがないかぎり,精神病理学的記述も終わるところはない。時には,「人間はどのようにしてあるのか」,翻って「私はどのような存在なのか」といった哲学的な問いにまで下降してゆかなければならない事態にも遭遇する。
いま「どのように」と記した。人と人との間に生起する事態は,どうやらhowで綴るしかなくwhatではないらしい。howを記述する作業が終わったところで,やっと「いったいこの人は何に苦しんでいるのか」といった「何what」が浮かび上がってくる。その「何」も,たとえば被害妄想と名づけられるものであったとしても,それらはけっして実体ではなく,これまでの精神医学によって名が与えられ,精神科医同士の約束事となっている「概念」にすぎない。
精神病の生化学,薬理学,生理学,画像診断学など生物学的な観点からの研究を専らとする学徒も,たとえば精神分裂病と診断し,その母集団を抽出するとき,必ずや患者と面接し,その状態像を記述するという手続きを踏んでいるはずである。ただ,目前の病者の姿をありのままに描き出すことは,けっして容易なことではない。観察者=治療者の態度いかんによって病者の示す姿は幾様にも変化しうるし,それを観察する治療者の視点もごく限られたものでしかないからである。さらに,この記述という作業は,治療的にも反治療的にもなりうる。
本稿では,精神病理学をコトバによって病者の状態像を記述し把握する方法とする立場に立って,精神分裂病を中心にその歴史と今後の展望のいくらかを綴ってゆくことにしたい。
Copyright © 2000, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.