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English
シンポジウム 新しい精神医学の構築—21世紀への展望
精神医学とニューロサイエンス—人称性の観点から
Psychiatry and Neuroscience
木村 敏
1
Bin KIMURA
1
1河合文化教育研究所
1Kawai Institute for Culture and Education
キーワード:
Psychiatry/neuroscience
,
Subjectivity/objectivity
,
First/third person
,
Private/public
Keyword:
Psychiatry/neuroscience
,
Subjectivity/objectivity
,
First/third person
,
Private/public
pp.165-170
発行日 2000年2月15日
Published Date 2000/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405902167
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はじめに
精神医学の古来の論点であった「こころ」と脳の関係について,研究者とその研究対象双方の人称性という観点から考えてみたい。
科学は,いうまでもなく客観的真理を求める。わたしにとって真であるものが他の人にとって真でない場合,それは科学的真理とはいえない。科学的真理は単に私的・一回的・主観的ではない普遍妥当性を要求し,純粋に公共的であろうとする。この場合,公共的と客観的が同義となる。そこでは,一定の手続きさえ公共的に取り決めれば,だれが実験しても,だれが観察しても同じ結果が得られるという意味で,研究者どうしの完全な交換可能性(再現可能性・追試可能性)が要求されるから,研究者の私的な一人称性の入り込む余地はない。一人称とは,「わたし」あるいは「われわれ」のかたちで,一回的で再現不可能・交換不可能な主体についてのみ用いうるものだからである。
次に研究対象についてみると,対象の均質性・等質性が,科学における客観性・普遍妥当性の前提となる。客観性は数量化と統計処理を要請し,それは対象の均質性・等質性を前提にしてはじめて可能だからである。医学のように人間が研究対象となっている場合も,ほかならぬこの理由から,元来多様で不均質な存在である人間からその個別性を最大限に消去して,これを「被験者」とか「症例」とかのかたちで公共的に三人称化しなくてはならない。だからこの場合にも,対象となっている患者や被験者の「わたし」の一人称性は排除されるし,相手の一人称性を前提としてはじめて成り立つ研究者・対象間の相互二人称性,あるいは「われわれ」というかたちでの複数一人称性も当然問題となりえない。
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