「精神医学」への手紙
精神科医が裁判員を経験して感じたこと—何のための市民感覚なのか
栗林 英彦
1
1岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター児童精神科
pp.805
発行日 2016年9月15日
Published Date 2016/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405205236
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精神科医である筆者が,先般,裁判員として裁判に参加するという貴重な経験をしたので,批判的な考察を加え,ここに報告する。
筆者は,犯行当時20歳台の被告人が起こした強盗致傷事件の裁判に参加した。裁判を始めるにあたり,裁判長から刑罰の主目的は応報であり,更生,教育は従たる目的にすぎず,情状酌量は刑罰の軽重の調整に留まるとの説明を受けた。筆者の参加した裁判は,事実関係に大きな争いはなく,公判前整理手続きにより証拠の量も絞られていた。被告人には10歳台後半に強盗事件のため少年院に入院した前歴があることが検察官から提示されたが,それ以上の情報は提示されず,生い立ち,事件前の生活環境の提示もなかった。検察官は自身が提出した証拠により,被告人の反省は不十分であり更生の可能性はないと主張し,弁護人は,反省の弁や被害の弁済といった情状証拠により,被告人は十分に反省しており,更生は十分可能であると主張していた。
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