書評
—ジャック・ラカン著,新宮一成 訳—精神分析における話と言語活動の機能と領野—ローマ大学心理学研究所において行われたローマ会議での報告 1953年9月26日・27日
兼本 浩祐
1
1愛知医科大学精神科学講座
pp.486
発行日 2015年6月15日
Published Date 2015/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405204933
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大学の授業でも新刊の紹介でもあらゆるところでいかに分かりやすいかが称揚されている。しかし本当に価値あるものを獲得するために応分の労苦を代価として支払わずに済むということがあり得るだろうか。本書はその訳注をみれば分かるように,この困難な著書のできる限りの周到な道案内を提供してくれてはいる。つまり本書を読むのに必要とされる古今東西の古典やさらには当時最新の動物生態学などの博識がたとえなくても読み進めることができるように簡潔に,膨大な量の背景知識が訳注として周到に用意されている。つまりは可能な限りはラカンという険しい道のりを不必要に迷わないよう配慮はされているが,しかしそれはあくまでもこの険しい山道を登ろうと決意した登山者に対する道しるべであることに変わりない。
いくぶん挑発的なものいいかもしれないが,精神分析への一般精神科医の関心は今や死滅しつつあるといってよいのではないか。ある雑誌で認知行動療法と精神分析的精神療法の棲み分けといったテーマで特集を組んだ時に,認知行動療法を専門とする臨床心理士の大家の方から,「認知行動療法は,精神分析を歴史的に止揚して次の段階に進んだ次世代の技法なのだから,棲み分けなどと言うのは全くの時代錯誤だ」という抗議をいただいたことが記憶に新しい。今世紀に入り根本的なパラダイムシフトを来した精神医学にとって,脳科学と接続可能で,エビデンスの蓄積可能な認知行動療法が精神分析的精神療法を駆逐しつつあるのはある意味必然的な成り行きとも言える。
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