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A.疾患の分類について(Centralblatt fur Nervenheilkunde,1892年7月掲載)
いかなる疾患分類が最も良いものであるのか。この問いには種々の視点から答えることができる。科学的な視点から,あるいは理想的医師なるものに鑑みて,まず最初に要請さるべきことは,疾患分類の根拠がただ一つだけであるということであろう。二つ以上の原理を適用することは,ただ非論理的であるばかりでなく,実践上の不利益ともなる。理想的医師が彼の専門領域を最も良く支配するのは,彼がそれを一つの原理に従って分類(区分)する時である。この時,内的に同属するものを包括するような合理的な区別が生じてくることになろうし,その明晰さによって理論上の充足と実践上の便宜がもたらされることになろう。
直ちに種々の原理を用いてこのことを試みることができる。まず部位というものがある。これによって局所病理学が与えられ,そこでは例えばすべての鼻の疾患,また同様に舌の疾患,口唇の疾患等々が集められることになる。このような局所論には確かにそれなりの利点があるのだが,しかし同一の疾患が種々の異なる部位を冒すことがあり,また多くの疾患において全身が冒されるのであるから,これはもちろん十分なものではない。組織による分類はより良いものであるように見える。骨の疾患,皮膚の疾患,神経系の疾患といった分類である。しかしこれに対しても同じ反論を行うことができる。経過(急性,慢性等)による分類あるいは症状(有熱性かそうでないか)による分類が十分でないことは明らかである。治療法(処方箋かメスか)による分類についても同じことがいえる。さて他のすべての分類が使用できないとなれば,残るのは原因による分類だけである。そしてこれだけが,理論的な立場からも実践的な立場からも,本当に満足のいくものなのである。これに対してなしうるただ一つの異論は,すべての疾患の原因が知られているわけではないということに関するものである(同一の原因が種々の異なる結果をもつかもしれないではないか,という考えはばかげている)。しかしこのような異論は,その原理にではなく,我々が知識をもっていないということに向けられているのであって,したがって時が経てば自然に解決されるものと予測してよい。さしあたり,すべての疾患が二つの部類に分かたれるであろう。すなわち原因の知られている疾患および原因の知られていない疾患の二つである。我々の努力は第二の部類を縮小させることによって第一の部類を拡大することに向けられるのであり,我々の目標は第二の部類を皆無とすることである。もちろんその途上に様々な困難が存在するだろうが,しかしそれらは我々を正しい道から誤った道へと駆りたてる権利をもっているわけではないし,それらを克服しえぬものとみなす理由も全くない。何にもまして忘れてはならぬことが一つある。二つの病像が,症状と出現の仕方と経過において,本当に同じである場合には,その原因も同一であると想定してまず間違いはないということである。このような病像の一致すなわち「臨床単位」を道具(Organon)として用いることによって,実際にはまだ原因がわかっていなくても,我々は進むべき道を見出すことができる。臨床単位というものは本来すでに第一の部類に属しているのであって,遅かれ早かれ臨床単位から病因論的単位が形成されるはずなのである。したがって臨床的分析と病因論における努力は決して対立しあうものではない。臨床単位を創出する人は同時に病因論にも寄与している。ただし次のことだけは想起しておかねばならない。すなわち,臨床的分析だけですべてが終わるわけではなく,我々の道具によって過剰な分割がなされていることもありうるのであって,原因に関する最終的な認識によって臨床上分けられていたいくつかのものが結合されるのだということである。例えば酩酊,急性アルコールせん妄,アルコールてんかん,慢性アルコール症,肝硬変等は一つの枝に咲いた様々な花である。医師は,疾患を認識し,予防し,治療するという三つのことをなさんと欲する。第一の望みは臨床単位によってある程度まで満たされるが,しかしこれをはじめて完全に満足させるものは病因論である。他の二つの望みを満たす(それらが満たしうる限りにおいて)のもこれまた病因論なのである。
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