巻頭言
精神科雑感
立津 政順
1
1熊本大学
pp.124-125
発行日 1986年2月15日
Published Date 1986/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405204097
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私が大学の精神科に入局したのは1940年4月であるが,それから今日までの45年余の間には,精神科にもいろいろのことがあった。第二次世界大戦中,松沢病院では,栄養失調,それによる死亡の患者が多数発生している。その際,患者の救済は一に食物の補給にあり,狭義の治療はほとんど無用であった。役に立ったのは,農作業に従事の患者と職員とであった。医師は手を拱いて見ているしか術がなく,空しい存在であった。こうした経験によると,食物の供給は医療の最も基礎的な前提をなすもので,その上に狭義の治療が成立っているように考えられる。また,医療の協力者としては,食糧の生産者の方が医師よりより重要な役割を果しているのではなかろうかとも思った。
かつての精神病院では,多動,寡動,拒食,暴力,自傷破衣などの行為の著しい患者が多かった。そのため,電気ショック療法が,必死の抵抗の患者にもしばしば強行されたものである。しかし,このような治療も根治療法とはならず,しかもそれから30〜40年後の今でも,この治療を受けた患者から恨言を言われる。代って登場の薬物療法は,確かに大きな進歩であろう。しかし,薬物の副作用として,治癒困難な不随意運動の患者が多く発生しており,また,急死,悪性症状群,ショック状態なども起っている。精神薬剤は怖い薬であり,しかも根治の薬でもない。そのようなことから,私は治療に当たっては,控え目であり,自然の軽快力を大事にしながら,投薬も単剤・少量を原則としている。それでも,治療効果は一応得られており,上記のような副作用も自分の患者では起ったことがない。
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