- 有料閲覧
- 文献概要
新入医局員の卒後研修に,何か生涯想い出に残るような教育をしてやりたいものだと,かねがね考えていた。そして,初年度のグループには,森田療法の絶対臥褥を体験させることにした。これは,かつて患者として森田療法を体験した大先輩から,「自分で絶対臥褥の体験もないのに,森田療法の研究発表をするなんておこがましい」としばしば批判されていたことも影響している。いざ実施となると,こちらも欲が出て,臥褥中の心理テストはもちろん,1週間ぶっ続けの脳波測定もすることになり,結局は絶対臥褥というより,遮断療法的な内容になってしまった。被検者である4人の研修医たちは,最初の2日くらいはよく寝た。しかし,その後は,何もしないで寝転んでいることの苦痛をいやというほど体験した。起床後の彼らの動務ぶりはまことに目を見張るものがあった。まさに「生の欲望」の権化であった(もっとも,これはそう長続きはしなかったが……)。起床して間もなく,私たちは座談会を開いた。私は「少しやり残した実験があるので,もう1度絶対臥褥をやり直したい」とからかってみた。彼らは互いに顔を見合わせ,「命令であればやっても良いが,できれば来年の研修医たちにお願いしたい」と主張した。
次の年の研修医たちには,精神病院に体験入院をさせてみたいと思った。これから,生涯精神科医を続ける彼らに,精神障害者とは何か,精神病院とは何かを医師としてではなく,まず患者として体験してほしいと考えたからである。5人の研修医たちは,私の計画を聞いて,全員が諸手をあげて賛成した。しかし,入院の日が目前に迫ると,彼らは口々に,「本当にやるんですか」と不安がった。前日はあまり眠れなかった者もいた。この計画は何も思いつきで出たことではなかった。私はフレッシュマンの頃から7年間,精神病院に住みつき,家族ぐるみで患者たちにつき合った経験がある。その病院は土地が低く,1年間に2,3度は洪水のためにわが家は水びたしになった。患者たちは病室から出てきて腰まで泥水につかりながら,息子を肩車し,家財道具を運んでくれた。息子は毎晩,私の廻診についてきては,患者からせんべいをもらったり,患者と相撲をとって遊んだ。私は若い医師たちに,患者を異分子としてみるのではなく,人間味あふれた,われわれと同じ人間であるという体験をしてもらいたかった。それだけで十分である。
Copyright © 1982, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.