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I.はじめに
向精神病薬と総称される,精神疾患の化学療法に使用される薬物が臨床家の手に渡ったのが1950年の初あからであり,数年を経ずして1955年頃よりわが国の精神科医も広く応用するようになった。爾来今日に至る20数年間,抗精神病薬,抗不安薬,抗うつ薬その他各種の作用を具えた向精神薬が開発され,実用に供されるに至っている。しかしある化合物が薬として特定範囲の疾患に有効であることを明確にするのはどのみち非常に大変なことに違いない。抗生物質のようなものは,試験管内での病原体に対する抗菌力を測定する方法が発達しており,加えて一定の毒性試験,催奇形性ならびに発癌性など動物での安全性が確かめられれば,臨床への応用の途が拓かれるのであるが,向精神薬のようなものでは,1)対象疾患の病因が物質的に明確でない,2)動物実験をやろうにも人間におけると同じ状態が動物では起こり難く,治療実験が行ない難い,3)経験の集積によって開発されてきた動物における前臨床試験,すなわちスクリーニングのための薬理作用試験の通りと臨床効果とは必ずしも一致しない,4)臨床効果の判定には臨床生理学,生化学的なパラメーターの応用は直接の臨床効果と高い相関を示すことがむしろ少なく,いきおい症状の重篤度ならびに治療による改善を示すパラメーターは主として心理学的,症候学的なものに頼らざるを得ない,などの制約があり,有用でしかも特異な向精神作用のある新しい薬物を開発してゆくことは容易ではない。
しかし臨床医学自身,長い年月にわたるおびただしい経験の集積であり,近年の臨床にたづさわる人々は昔に比べればはるかに賢くなっており,多くの経験の中から一見偶然と思われるような貴重な現象を拾い上げては驚異的な進歩の足掛りとしている。向精神薬の発見もまた例外でなく,薬理学者との協力により基礎から臨床へと薬効を評価するシステムを作り上げてきた。たとえば抗精神病薬として最初に出現したchlorpromazine,reserpineのうち,前者は往時精神疾患の治療に用いられていた持続睡眠療法,あるいは外科領域で応用されていた冬眠療法に抗histamine薬と類似のphenothiazine核を持つ化合物として試用されたのが始まりで,やがて単なる鎮静効果に止らず,情意鈍麻,幻覚,妄想などの異常体験に対する効果のあることが発見され,以後同じような基礎薬理作用を有する類似化学構造の化合物の開発から,進んで他の化学構造の化合物でこの方式の薬理学的スクリーニングに引掛かる物質の開発へと抗精神病薬の新薬開発は進められており,また母核の若干異なる三環系化合物の中から,広範な臨床試用の結果imipramineを初めとする幾多の三環系抗うつ薬の開発という結果がもたらされた。後者のreserpineにしても印度蛇木の根が古くからインドで治療に応用されていたことがヒントともなり,アルカロイドの抽出,臨床への応用と進んだものであり,MAO抑制薬にしても前身は抗結核薬のINAH使用中の結核患者に偶発的にみられた気分の昂揚と,MAOの生化学的作用との組合せから,多くの抗うつ薬の開発へと発展した。また抗不安薬と現在いわれている一連の薬物の第1号であるmeprobamateも,従来筋弛緩薬とされていたmephenesineが同時に精神緊張,不安にも効果があるという臨床経験から,類似の化学構造を持ち,さらに抗不安作用の強力なmeprobamateが開発され,またこのものの動物における行動薬理的特徴から,一連のスクリーニング法が作り出され,その結果benzodiazepinesが抗不安薬として登場するに至っている。
臨床医学全般をみるに,勿論それ自体の長い年月にわたるおびただしい経験の集積の賜物であると同時に,絶えず隣接科学のめざましい進歩の恩恵に浴したお蔭で日進月歩の発展をとげたのであり,診断技術にしても各種の方法や機器が導入され,さらに従来の主観的な方法より自動診断のほうが的中率がまさるというくらいまで変貌した面も一部には見受けられてきた。ところが治療学ということになるとその最も中核的な部分をなす治療効果の判定ということになると10数年前までは,わが国ではその指導的役割を果たしてきた大学や大病院の臨床家によりもっぱら経験と勘に依存する考え方が固定されできたことは否定できない。もっともかかる傾向は当時わが国のみでなく欧米各国においても同様であったことは数多くの文献をみれば明白であろう。しかし一方では第二次大戦後,英国において科学的評価方法の一般的論理が確立され,当初農学その他の領域で発展してきたものが医学の分野でも取り入れられるようになり,とりわけ薬の有効性と安全性を確認するための実験条件が真剣に考慮されるようになり,この考え方は米国で支配的となり,漸次世界的に拡大され,今日不可欠なものとなっている。
かかる客観的薬効評価の方法論は向精神薬に関しては比較的早く臨床医学に浸透してゆき,とくにわが国においては結核,リウマチとともに精神疾患に対する治療学の研究が他科に先んじて行なわれた背景には,対象とする疾患の多くが,薬剤ないし治療の薬理効果ないし直接効果以外の環境因子による効果すなわちplacebo効果が,他科の疾患より非常に顕著であるとされたことによるものであろう(もっとも,その後の治療研究を通じて,他科領域の疾患においてもplacebo効果が非常に高いことが分ってきた)。今一つは,前述の通り精神疾患の状態像を表わす症候学が,身体病理学に基礎を置いたものではなくて,異常心理学を基として形作られているために,薬効をきめ細かく評価するための症状評価尺度(Symptom Rating Scale)や推計学と密接な関連のある心理学の技術が与って力があったことを否定できない。
勿論他科におけると同様,精神科医の中には古典的な精神病理学に基礎をおいた臨床家としての経験と主観の権威性や,いわゆるさじ"加減"のメリットのみに固執して隣接科学において発達した科学の方法論を採り入れようとすることを嫌う人々も少なくなかったが,ここ10数年来世界の精神科医の間で治療効果の客観的評価の方法論について真摯な態度での研究が急速に進あられていることを知るに及び,また以下に述べるような事柄の発生も手伝って,従来の経験的ないわゆるopentriaiに加えて信頼性のある評価として二重盲検法を主体とした薬効評価が必要であることが次第に多くの臨床家の理解を得るに至っている。
現実的な理由としては,一つには,1961年に起こったサリドマイド奇型児の論争の問題がわが国にも波及し,その後いろいろ薬禍の問題が重なるに従って臨床試験における安全性と関連して倫理性確立のための配慮が強調されるようになったことがあり,今一つは「医薬品の有効性について,最近に至りいわゆる肝臓薬,ビタミン剤などにつき,その標榜する効能効果に疑義がある」との意見が発表され,国民の間に大きな反響を呼んだこともある。当時活性ビタミンの大量療法というのが広範囲の疾患に著効を現わすという,世界中他では行なわれてない治療法の奨励が,当時の一部の権威的な臨床の大家の経験に基づいて行なわれ,製薬企業の商業主義を支持した結果となったことは周知の事実である。新薬の有用性に関してはまず米国で1),1962年頃よりFDA(Food and Drug Administration)の新薬製造販売許可申請に有効性についての客観的評価が要求されるに至り,他諸国の中でもこれに続くところが現われ,わが国においても昭和42年11月来同様の基準で評価されるようになったが,一方この既発売薬品についても厚生大臣の諮問機関として設けられた薬効問題懇談会(座長:熊谷洋日本医学会長,以下薬効懇と略記)での審議の結果が答申書として出されて,その意見に基づいて既発売薬品の薬効再評価が実施され,今日に至っている2)。薬効懇の答申書の中で「病気にはそれぞれ軽重があり,かつその経過には自然の動揺がある。また薬の作用は個人により,そのうえ同一個人であっても,その場の条件により異なるのが普通である。したがって単に治療薬だけを用いて,病気の経過を観察した場合,医師あるいは患者の主観なり先入観なりの混入を避けることが難しく,科学的な効果の判定が困難になる場合がある。したがって薬効を科学的に判定するには,十分に吟味した判定基準を設定し,比較のたあの適切な対照を置き,相対的に評価する方法によることが原則的に必要である(中略)。しかし平等の条件下における比較の原則が計画に十分反映されたとしても,治験医,患者のどちらか,あるいは両者の心理的な影響が働いて,治験薬と対照薬との薬効の差以外のかたよりが成績に介入するおそれがある場合には,治験者も,患者も,治験薬と対照薬のどちらを用いたかを知ることのできないような方法,すなわち二重盲検法の利用が必然的に問題となる」と述べているが,これはそれ以前から治療行為の心理的効果を重視し,これを効果的,組織的に応用し,また治療効果の評価にも勘案してきた精神科医の考え方と一致するところが多い。
かかる経過で最近10数年の間に,向精神薬の薬効評価については,わが国では主として精神科領域において,他科の場合に劣らない,努力が重ねられ,精神薬理の一分野としての研究方法の開発と,これに伴って幾多の新しい有用な向精神薬を実地診療の場へ送り出している。これは国内的な動向にとどまらず,WHOにおいても,またWPA(World Psychiatric Association),CINP(Collegium Neuro-Psychopharmacologium)その他主要な国際的学術活動の動きでもあり,さらに向精神薬の薬効評価を国際的に適切に行なうためのguidelineを作成するInternational Ad Hoc Committeeが組織され,活動している段階である3)。
しかし新しい,有用な向精神薬の評価方法が今日なお満足すべき状態で実施されているわけではなくて,色々な問題が残されている。これらをすべて直ちに解決することは不可能であるが,10年前に比べれば格段の改良がなされており,これからも一歩一歩試行錯誤もあろうが,修正と工夫が加えられてゆくことは間違いないと思われる。今回はわれわれが現時点で問題点になっていると考えられる事柄をいくつか取り上げて話題としてみたい。
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