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第2回国際精神外科会議2nd International Conference on Psychosurgeryが,22年振りに1970年8月24日から3日間DenmarkのCopenhagenで開かれた。第1回の国際会議は,第2次世界大戦後まだ国際情勢の安定しない1948年8月3日〜7日,精神外科発祥の地Lisbon (Portugal)で開かれた。W.Freemanの記録によると,戦後の経済事情や政治問題などから出席者は限定され,27カ国,約80名の出席者で,56題の演題と抄録が受理されたが,実際にはその半数の演者しか出席できなかったという。日本からは外科側から中田瑞穂(新大),竹林弘(阪大),精神科から中川秀三(北大)が推薦され,ことに中田先生に対しては当時George Washington大学神経学教授のFreemanからGHQへの働きかけもあったが,それも不成功に終わった。そのような今からは考えられないような世界の情勢で日本,ドイツ,ソ連からは誰も出席しなかった。因みに,前回の会議の構成は,会長がEgas Moniz,副会長はLisbon大学の3名の教授Antonio Flores(神経学),Barahona Fernandes(精神医学),およびAlmeida Lima(神経外科)で,Secretary-Generalは米国のWalter Freemanであった。
1935年MonizはCajalの神経細胞結合学説やPavlovの条件反射学に注目し,前頭葉機能についての長年にわたる周到な研究による仮説にもとづいて前頭葉白質切截手術(prefrontal leucotomy)に到達し,精神外科の発展の基礎を築いた。Monizの第1例は激しい不安,苦悶状態の続いていた60歳の退行期うつ病の婦人であったが,手術は見事に成功し,劇的効果をおさめた。その後Freeman & Wattsによる前頭葉ロボトミー(prefrontal lobotomy)をはじめ多くの変法や改良術式が現われ,第1回の国際会議が開かれる機運となったのである。Monizは開会に当っての会長講演“How I came to perform prefrontal leucotomy”の中で「これらの試みが医学,精神医学,心理学,哲学,社会学,および他のあらゆる分野に激しい論争をまき起こすであろう。同時に,この論争が科学の進歩を促進し,就中,精神病患者の利益を増進することを希望し期待する」と述べているが,その予言は正に的中し,精神外科についての論争は現在なお続いている。1949年にはMonizのこの業績に対してノーベル医学賞が授与されたが,当時の傾向として,精神病院に長期間収容されたまま回復の見込のない慢性分裂病が手術の対象として選ばれ,しかも最後手段として,Freeman-Watts型のロボトミーを中心になるべく大量の前頭葉白質を破壊する方法が行なわれたため,手術効果にも疑問が持たれ,術後の合併症や好ましくない人格変化が問題となった。一方,1952年以来の向精神薬による薬物療法の発展と平行して,種々な限局性の改良術式(Scovilleによるselective cortical undercuttingやSpiegel & Wycisによるstereoencephalotomyなど)が行なわれるようになり,従来のロボトミーで見られたような副作用の問題も解決され,適応症も明確となり,手術対象はMonizの最初の狙いに戻りつつある。したがって,手術の対象となる患者の数は著しく減少してきた。しかし,向精神薬の奏効しない患者,薬剤に対する特異体質や種々な副作用のため治療を続けることのできないような例に遭遇する場合のあることなどから,電気痙攣療法とともに精神外科も捨て去ることのできない治療手段として再認識されるようになってきたのが最近数年間の趨勢である。かつて1950年代には,精神外科の誤用によるマイナスの面が手厳しく批判され,さらに向精神薬の出現によって精神外科に対する否定的な意見が精神科医の間に強まり,また脳外科医の関心は錐体外路疾患に対する定位脳手術による基底核破壊などへと移って行った。精神外科の国際会議が1948年に開かれて以来,昨年まで1度も日の目を見なかったのはこのようないきさつがあったためと思われる。英国のみは例外中の例外で,最盛期の1949年にRoyal Society of Medicineの精神医学分科会で米国の諸学者を迎えて“Anglo-American Symposium on Psychosurgery“を開催し,その後も度々同学会で精神外科の問題が討議され現在に及んでいる。1960年の同学会では,“Orbital Undercutting“に関するSymposiumが開かれ,米国の脳外科医Scovilleをゲストに迎え,Knight,Lewin,Skottowe,Northfield,Beckら英国の脳外科,精神科,神経病理の代表的な学者が集まって精神外科の新しい段階についての討議が行なわれた。世界精神医学連合(World Psychiatric Association)でも,1961年にMontrealで開かれた第3回総会(3rd World Congress of Psychiatry)では,Plenary Session:“Physical therapies”の中で精神外科がとりあげられ,Freemanおよび筆者が報告を行ない,さらに1966年,Madridにおける第4回世界精神医学会総会のSymposium “Indications of the various somatic treatments in psychiatry”では筆者が“Present trends in psychosurgery”について講演を行なった。最近の10年間には以上のような再認識,再検討といった動きが見られたが,世界中の多くの精神科医は(英国は例外として)精神外科はすでに過去のものだと思い,中には旧来のロボトミーについての先入観から,精神外科はすべて有害無益のものであると信じ込んでいる人すらあるのが現状であった。恐らく精神外科の研究に携わっている精神科医ですら,第2回の国際精神外科会議が将来開催されようとは誰ひとりとして想像もしていなかったことと思うが,1969年も押し詰まった頃EdinburghのDepartment of Surgical Neurologyから私宛に一通の手紙が舞込んできた。1970年8月24〜26日CopenhagenにおいてThe International Conference on Psychosurgeryを開催するので貴殿を招きたい,第1日目はCase selection and target selection,2日目はTechniques and results,3日目はResults and discussionというプログラムだから,その何れかのsectionで講演してほしいと,Organizing Committeeの1人Eduard Hitchcockからの要請状であった。そこで私は早速“The Case Selection of Mental Disorder for Orbito-Ventromedial Undercutting”について報告する旨の返信を出した。これはあとになってneuropsychiatristのFreemanとKalinowskyから聞いてはじめて知ったことであるが,今回の会合はEdinburghのHitchcock,CopenhagenのVaernetら若手のneurosurgeonがmoderatorとなって企画されたもので,最初は現に精神外科手術にタッチしている脳外科医にのみ招待状が出され,しかもJournal of Neurosurgeryには1st International Conference of Psychosurgeryとして告示が出されたりして,たまたまその告示を見て驚いたFreemanからその誤りが指摘されるという一幕もあった。その後Freemanのadviceや,はからずも今回の催しを知った精神科医や心理学者の積極的な参加を得て,結果においては22年前のLisbonにおける会議とくらべて遜色のないものとなり,Honorary Presidentとして先年retireしたProfessor Eduard Busch(Department of Neurosurgery, Rigshospitalet, Copenhagen)がかつぎ出されて開会の運びとなった。
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