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I.序言
1969年秋,私は,欧米で10ばかりの精神病院を訪れる機会に恵まれた。最初はStockholmで,老人ホームを含めて3ヵ所見学し,次にドイツへ渡って,作業療法のメッカとして高名なWestfal州立病院を訪れたのである。予想外に活発な作業療法と,広大な敷地を持った病院の庭園などに感激したが,それ以外にもう一つの驚くべきことを見聞したのであった。Winkler教授に誘われて朝の集会に出席してみると,Dr. Grosserによって,ちょうどその年の10月1日から紹介,試用されだした,一側性電撃療法についての話があった。電極の部位,使用される金属の選択,サイクル数,その他,が教授を中心にして論じられ,とにかく,新しい方法でのECTが試みられだしているという印象をうけた。研究会の後で,実際に患者に施行するのを,bed sideで見学することを許され,筆者はいろいろ質問したのだが,最も驚いたのは,この病院で89歳の老人に,この一側性電撃療法を行なって成功したという話であった。そしてまた,多少の心疾患を持っている患者にも,安心してECTを施こしていることであった。後で判ったことなのだが,これはAtropine,SuccinなどをBarbiturate以外に使用するからでもあって,ECTの方法の改良によるものだけではない。
筆者は,その後訪れる先々の病院で,この一側性電撃療法が使用されているかどうか,必ず質問することにした。イギリスでは,既に一般的に用いられているのだとの話は,その折に聞いた。ドイツを南に下り,Heidelberg大学の精神科,オーストリアのNeurologische Poliklinik,スイスのBinswanger先生のSanatorium Bellevue,そしてKantonale psychiatrische Klinik,パリのSt. Anneなど,いずれも,訪れた先で,一側性電撃療法について聞いてみた。その名前すら知らない教授達もあった。Pichot教授は「われわれはその治療法の名前は知っているが,一線の若手の医師がとびつかないなだけだ,また,機械そのものにも,未だ問題はあるであろうし,要するに,われわれは,保守的なのかもしれない」と言われ,この方法はヨーロッパにおいても,新しい治療方法のように思えた。ロンドンのSt. Barthoromew病院では,ずらりとならべたベッドに患者をねかせて,次々と一側性電撃療法とIndoklon痙攣療法とを行なっていた。おそらく痙攣療法というものが導入されだした頃の精神科医達が,全力をあげてその効果を確かめようとしたであろうことを思わせる程の雰囲気が,その治療室には満ちていた。しかし,Rees教授のかわりに筆者に説明してくれたMontefiore先生は「あんまりたいしたことない」としかめつらをされた。New Yorkへ渡り,Grecie Square病院にKalinowsky教授を訪れたときには,筆者が欧州大陸からイギリスへ渡る頃に抱いていた期待はかなり薄らいでいた。Kalinowsky教授は,あまり一側性電撃療法を高く評価してはおられない口調であった。しかし,このNew York唯一の私立病院であるGrecie Square病院では,入院費用が非常に高くつくので,どうしても外来治療に1人で通院させる必要が生じ,そういった場合には,この一側性電撃療法がなお重要な治療法として用いられている,とのことであった。薬物療法では,治療効果の現われが遅すぎるとも言われた。筆者は,アナフラニール点滴静注療法のことを想い出したが,また,Roland Kuhn教授が,「あれは,副作用が強すぎる」と言われた言葉も浮かんできた。
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