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I.はじめに
1860年Schirmer42)によつて,片側の生来性緑内障と同側顔面の火焔状母斑(単純性血管腫)の合併例が記載され,1879年Sturge44)は,上記二つの症状のほかに,それと反対側半身のてんかん様けいれん発作をもつた1例を報告し,その病像から母斑同側の脳表面に同様の病変が存在することを推測した。1897年Kalischer16)が初めて剖検例を報告して,その病理解剖学的根拠を与えた。ついで,1922年Weber50)は,頭蓋単純撮影によつて,健側よりも濃い,広範囲にわたる異常陰影を認め,脳の硬化性の変化か脳膜の異常にもとづくものと考えた。7年後同じ患者を再検査して,頭頂・後頭部に蛇行した二重輪廓を有する特異な石灰化像をみいだし,注目を集めた51)。その後,同様の報告が相つぎ,この症候群に対してさまざまな名称がもちいられたが,1936年Bergstrandら5)により,Sturge-Webers Krankheitなる表題のもとに詳しく論じられて以来,こんにちではこれがほぼ一般的な名称となつている。とくに近年は,van der Hoeve48)のいう母斑症(Phakomatose)なる概念のなかに加えられて,母斑症に属する他疾患との関連性が種々論じられている。
本邦では,河本20),大野31),菅ら17)の発表に始まり,その後も諸家の報告がつづいている3)27)29)30)45)46)。さて,1960年Hayward13)ら,翌年Patauら34)は本症に特異な染色体異常をみいだしたが,追試による確認はまだ行なわれていない。今回,われわれは,本症のいわゆる不全型3例を経験したので,その染色体所見をもあわせて報告する。
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