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Ⅰ.緒論
「うつ病と罪責体験」というテーマは,単なる「うつ病における罪責感」というような症候論的な問いにはとどまらない。被影響体験の淵源を追求することがそのまま分裂病心性の本質を探ることにつながつているのと同じ意味において,罪責体験の根底への遡追はそのままうつ病心性の本質への問いに通じている。「メランコリーが罪責主題を動かしていると考えるのは正しくない。むしろ,罪責主題のほうがメランコリーという舞台を獲得するのである」というTellenbach5)の言葉も,かかる意味に解されなくてはならない。つまり,罪責体験はうつ病の単なるひとつの部分症状であるにはとどまらず,そこには臨床的に「うつ病」と呼ばれている状態を発現せしめるような人間心性の病態が,すでに全的に包含されているといえる。
しかしながら,実際の臨床的うつ病像においては,罪責感はけつして必須の体験内容とはならない。罪責感を伴うことなく,心気念慮や貧困・破滅感,自己卑小感などが前景に立つているうつ病像も多いし,さらにはそのような"produktiv"な体験主題をまつたく示さないうつ病像が,数から言えばむしろもつとも多い。したがつてここで考察さるべきことは,うつ病者の罪責体験と諸他の"produktiv"あるいは"unproduktiv"なうつ病像との間にはいかなる関連があるのか,そしてこの関連において罪責体験はうつ病心性そのものの本質といかなる意味において根源を等しくするといえるのか,という問題である。そしてこの考察からは,やがて,うつ病の罪責体験がいかなる意味において「病的」であるといえるのか,すなわちそれがいかなる点において人間に本来的な罪の自覚と区別されるべきであるのか,という問いが必然的に生じてこなくではならない。
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