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I.はじめに
精神疾患の疫学または精神医学的疫学は,古くはKraepelinのジャバ,中米などにおける研究に始まつているが,他の身体疾患の疫学に比べてより困難な問題を含んでいる。たとえば身体疾患よりも不安定な疾患概念,診断規準,事例発見の困難性,因果関係の決定の困難性などがある。したがつて精神医学的疫学の確立のためには,それ以前の疾患単位や発生要因などを追求しなければならず,ことに文化・社会精神医学,予防精神医学preventive psychiatry,コミュニティ中心の精神医学community-cenfered psychiatry(community psychiatry)などとの問題とも重複してくる。
したがつて現在,世界各国で要望されているのは,異なつた疾患分類や概念,事例発見の異なつた条件において,各国の有病率や発生頻度を比較することではなく,精神医学的疫学の方法論を検討し,統一された概念と方法によつてえられた資料を比較することにある。したがつて精神医学的疫学の科学化のためには,生物学的,遺伝学的,社会学的,心理学的方法などのすべてを動員することによつて精神疾患の発生要因を多元的に考察することが必要となる。
具体的な方法論としては,つぎのごとき資料や調査法があげられる。(D. R. Reid**)
生物統計の利用,精神疾患の程度測定,精神障害の有病率調査,個人的素質の測定,精神障害分布に関連する素質的および環境的要因の研究,地域調査の技術的側面,疾病管理における疫学的実験。
もともと疫学は急性伝染病の発生予防という目的から生じた領域であるが,それがしだいに他の慢性疾患にも適用されるようになつた。結核や梅毒に本質的にendemicであるが,伝染性をもち,死因や疾病の原因としてなお高い比率を示している。また,外傷は伝染性を有しないが急性のものであつて,より散発性で地方的な分布をきたしている。急性伝染病は別として,精神疾患は結核,梅毒のように伝染性はないが慢性であり,外傷とは非伝染性の点で共通するが急性ではない。しかし公衆衛生の領域では慢性の非伝染性疾患,たとえば癌や高血圧などをも疫学の対象としている点で,精神疾患も当然その対象となると考えられる。
ひるがえつて精神医学の側での疫学的研究についてみると,E. Kraepelinの門下のうちから,主として遺伝学的立場からの研究が行なわれ,Rodin,Weinberg,Luxenburger,Brugger,Schultzなどが,1920年代から1930年代にわたつて,精神疾患の発生頻度や有病率に関する研究を行なつた。そのもつとも古いものはJost(1896)およびKoller(1895)であり,それは入院患者の家族と健康者の家族内の精神疾患の頻度の比較研究であつた。精神医学的疫学の発展についてはのちにのべるが,日本ではとくにドイツ精神医学の影響で遺伝負荷の研究として,昭和13〜4年ごろから発表されている。この詳細についてものちにのべる。
重松*によれば疫学的研究における要因は,宿主要因(host factors),病因(agent factors)および環境要因(environmental factors)よりなる多元要因が必要であり,医学的生態学medical ecologyといわれる面をもつているという。
精神疾患においてもhost factorsとしての主体的特性(年,年齢,種族など),精神的および身体的症状,先天的抵抗力(遺伝,素因など)後天的抵抗力(既往疾患など)については,古くからとりあげられているが,agent factorsとしては梅毒,アルコールその他,頭部外傷,放射線などがとりあげられるにとどまり,environmental factorsとしては,主として社会的要因ことに地域分布,人口密度や移動,文化的条件,生活程度,社会的変化(戦争,不景気など)が社会学や文化人類学の立場からとりあげられている。
つぎに精神疾患の疫学の方法論についてのべてみよう。
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