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Ⅰ.まえおき
〈神経質(Nervosity)〉という語は,こんにちわが国の精神医学の領域で,特別の意味に用いられている。それは,森田教授によつて提起された1つの疾病単位としてのよび名であり,神経症(Neurosis)のなかのある一群に対して与えられたものである。したがつてこれば,通俗的な意味で,ある性格特徴を表現するために用いられる一般的な内容と異るものであることはもちろん,神経衰弱(Neurasthenia)とも,欧米でいうHypochondriasisとも同義ではない。この意味では,まぎらわしさをさけるため,〈森田神経質〉とよぶのが,もつとも適当であると考えられるが,以下の文中では,森田教授にならつて,単に神経質と略称する***。
さて,ここ数年来,わが国において,本症についての関心がにわかに高まつてきたようである。しかし,衆知のように,本症についての森田学説そのものは,すでに30年以上もまえに,ほとんど完成された型で体系化されていたものである12)。しかもそれは,わが国でうまれた,ほとんど唯一の,独創的な神経症論であるとともに,その理論にもとづくすぐれた心理療法の体系をそなえている。S. Freudの精神分析学理論とその技法が,大きな転換を示しはじめた1920年代に,すでに森田学説の全般を伝える著書が出版されていたことを考えると,いまさらのように,驚くべき先駆であつたことを痛感せざるを得ない9),10)。しかし,それにもかかわらず,高良・野村教授その他慈恵大学を中心とする森田学派と,下田教授以来の九州大学,およびその他2,3の人々をのぞいて,この理論と治療法の卓抜さを認め,入念に検討,追試し,あるいはこれを発展させた精神医学者の数は,それほど多くはなかつたようである。それが人々の注目をあびるようになつたのは,大戦後わが国において,神経症一般に対する関心が高まり,神経症についての多くの新知見が得られるとともに,精神分析学をはじめ,欧米のいろいろの神経症学説が紹介され,普及した結果,より詳細な森田学説の検討,あるいは,力動精神医学の側からの反省などが必要になつてきたことに主な原因があると考えられる。さらに,戦後とくにアメリカ医学との交流によつて,森田学説が彼地に紹介・発表され,そのことが逆に,わが国の医学者の関心を刺激した点も見のがせないであろう。
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