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はじめに
精神鑑定というものが,私たち精神医学の実地にたずさわるものに課せられることがしばしばであるのに,講義でこれについてまとまつた話を聞いたことはあまりなかつたし,普通の教科書では,この問題には,ほとんどふれていないことが多い。私にしてもそのむかし,三宅先生や,時に呉先生のお手伝いをしたのに始まつて,見よう見まねでやつてきたといわれても仕方のないところがある。多少この方面の本をよんだりするにつけても,日本の精神科医のために,多少まとまつた実際的な記述がほしいということは,常に感じていたしまた人からも書くことをすすめられていた。この雑誌の計画が具体化したとき,編集委員の仲間から,私にこういう課題を与えられ,やつてみるかという気になつたのも,年来いたずらに頭の中だけで考えていた計画を,一応軌道にのせるいとぐちになるかと思つたからである。しかし相かわらずそれが甚だ忽卒の仕事になつてしまつた。はじめは,50〜60枚くらいで,法律的の問題と,実際の鑑定に当つての一般的の問題,症例別の問題を扱う積りであつたが,書き出してみるとはじめの部分が長くなり,結局2回あるいはそれ以上に分けなければならぬことになつてしまつた。
精神鑑定の関与する責任能力という問題は,法律家と私たちの互に協力して研究すべき問題であり,また実地の裁判の場合にも,法律家と精神科医とが,互にその各自の分野を守り,また互に他の立場や学問の内容をあるところまで理解することが必要である。こういう意味で,第一に精神科医のために必要な刑法学的の常識かと思うところをまとめてみようとした。教科書的の筋道をのべたものに過ぎないが,法律家に見てもらう暇がなかつたので,問題や,誤りをのこしたら,あとから機会を得て補正したい。全体に講義めいたものになつてしまつて恐縮であるが,何かのお役には立つと思うのでお許しを願いたい。
私たちが法律的の理解をもつことも必要ながら,法律家の方で精神医学的の知識をもつていただくことも,Mezgerにまつまでもなく,甚だ必要と思う。第一に,責任能力についてまず疑問をもつ位置にあるのは法律家であり,そのためには一般的な常識的感覚だけで十分だとはいいかねるところもあるからである。東大では吉益教授が法学部で,犯罪生物学,犯罪心理学という立場で講義をしておられるが,司法精神医学の立場も必要である。ことに今日の制度で,判事,検事,弁護士の法律の実地にたずさわる人が,すべて経なければならない司法研修所で,せめて十数時間くらいの精神医学の講義と,また臨床講義のような意味で,ある鑑定例を中心としたDiskussionの時間などをもつことが必要なのではあるまいかと思う。法律家のこの方面の理解について,ある程度安心があると,鑑定書もどれだけ書きやすくなるかと思う。そもそも分裂病とは,というような一般的な説明は,原則的には必要はないともいえるのであるが,どうも書かざるを得ないこともある。また,私たちの診察,検診の方法,根拠についての理解もほしい。具体的な身体病と違うので,この理解の足らぬところから,思わぬ誤解や,不信をもたれることもある。
人のことはともかくとして,今回ここで扱うのは主として刑事的の精神鑑定である。民事的の精神鑑定は数も少いし,責任能力の内容も異るところもあるので,今回はふれないことにする。責任能力の問題については,昭和25年の精神神経学会総会の宿題として内村教授が団藤教授とともに担当し,その時の講演内容と数例の鑑定例をまとめた本が出版されている。また最近,前満州医大教授田村幸雄博士が,法律論にも亘つて“責任無能力,および限定責任能力の概念について”という論文を精神経誌に発表した。しかし私たちの間でこの方面の論義は少いし,関心もあまり大きくないというのが実状であろう。精神鑑定が全国でおこなわれている数について今はつきりしたところを知らないが,決して少いものではない。それにたずさわる専門家の数が必ずしも十分とはいえないし,また鑑定を命ぜられている専門家の知識,経験が常に十分だといいかねるところもあろう。精神鑑定に対する不信がその辺から起らぬとも限らない。私たちとしても互にいましめ,助け合つて行かねばならぬところで,その辺に多少とも役に立ちたいというのが,この論文を書くに当つての念願である。
この仕事については,私の同僚中田修博士の援助に負うところが少くない。同君がGruhleの“精神鑑定”の翻訳をはじめ,多数にこの方面の論文その他を翻訳,あるいは紹介をしていることは御承知の通りである。
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