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はじめに
2011年3月11日午後,宮城県沖を震源とする大地震と津波は,東北・北関東の太平洋岸の多数の人々の命と生活の場を一瞬にして奪い,文字通り地域・職場・学園を壊滅させた。しかも,続く福島第一原発事故は,その範囲は今なお不透明であるが,その周辺に住む人々を追い出し,恐らく今後長年月にわたって,住民が戻れない住めない場と変貌させてしまった。
被災のその日から悲しみの中で被災地の人々は再建のために立ち上がった。負傷した人々,服用していた治療薬を失った人々,生き延びたが孤立し寒さと飢えと愛する人々を失った悲しみの中で心身を損なった人々の,緊急の医療援助が求められた。精神科医療への要請が被災のこれほど早期から求められたことは,かつてなかった。東日本大震災は,従来の地震被害にみられた揺れによる建物の倒壊や火災による死傷被害よりも津波による被害が圧倒的に多かった。津波は町を根こそぎ呑み込み,巻き込まれた人々の命を奪った。一瞬の判断の違いが人生を変えてしまったという体験を持つ方々も多く,助かってもその運命のいたずらに納得できない被災者も多いという特徴があった。こころのケアが早期から求められた理由の1つであろうと思われる。
この事態に精神科医療はいかに応えたのであろうか。結論から言えば,阪神淡路,中越の震災の経験を活かして,東北・北関東の被災地の人々の要請に応ええたと言えるであろう。あるいは,応えるべく変わらなければならなかった。その中で,精神科医療の新しい形や機能を生み出したところもある。しかし,それらが旧精神科医療の場の変化につながったかと問われれば,容易ではなかったと言わざるを得ないであろう。その意味では,東日本大震災(以下,大震災)と福島第一原発事故は,われわれの医療のあり方を問い,生活と保健・医療が一体となった支援を求め,何がしかの新しい形を残し,また旧精神科医療の場における課題を提起したと言えよう。本来の精神科医療の再興と新生を芽吹かせたと言えるかもしれない。
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