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かつて日本を代表する評論家小林秀雄は,科学的技術知の目覚しい進歩に引き換え,人間の人格,また知恵は全く成長しておらず,かえって,思想が浅薄になっていることを憂えた。計量化と視覚化をなによりの通路とする科学的アプローチが産業社会の市場原理と対になってますます大きな力をもちだしている今日,この評論家の憂えはいっそう大きくなっている観を禁じ得ない。「実に浅薄ですよ,このごろの知識人は」という小林秀雄のきびしい批判の言葉は,今日,精神医学の分野で論文を書き,講演で話す「知識人」の多くにもあてはまることは間違いないだろう。評者自身,「これでいいのか?」と内心忸怩たる思いにかられることがある。グローバリゼーションの時代に入り,はなはだ遺憾ながらとりわけわが国では,批判精神がひどく衰弱してしまったように思う。
その意味で本書は時宜に即した待望の本格的な批判の書であり,特筆に価する。もともと生物学的精神医学を専門とする著者によって,こうした現代精神医学の「軽薄な」思考,あるいは「怠慢な解決」(A.アルトー)を正面に見据えてその不備を鋭く突き,ラディカルかつ建設的な考え方が提出されているだけに,説得力がある。前著『精神分裂病の薬物治療学』で提唱されたネオヒポクラティズムの視点を発展させ,生物精神医学で「定説」と喧伝されているいくつかの代表的な知見を取り上げ,しかるべき自己治癒の機制が作動していることを尊重する「回復論的治療観」のもとにあらたな解釈を施し,薬物療法,ひいては精神科治療全般に対してあらたな展望を拓く。著者の回復論的治療の導きの糸となる概念は,フランスの外科医ラボリによって発見された外科的なショック後の解体と再生の間を振動する「侵襲後振動反応」である。この考え方を援用して,脳内ドパミンは,統合失調症の防御または修復に関与する侵襲後振動反応とみなせるシステムであるという魅力的な説が打ち出される。さらに,うつ病についても回復モデルから考察し,セロトニンをはじめとしたモノアミンは回復因子と把握される。
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